榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

幸田露伴の厳しい躾に反撥する娘の心の中・・・【山椒読書論(242)】

【amazon 『幸田文のマッチ箱』 カスタマーレビュー 2013年7月28日】 山椒読書論(242)

幸田文のマッチ箱』(村松友視著、河出文庫)の至る所で、著者・村松友視が中央公論の編集者時代に親しく接した幸田文(あや)への深い思い入れが息づいている。

私は、文豪と呼ばれる作家が家庭内ではどうであったのか、に非常に興味がある。その意味で、「露伴の躾」の章によって、新たに知り得たことが多かった。

早くに母を亡くした14歳の娘・文に幸田露伴がはたきがけを指導する場面を、著者が文の文章から引用している。「ことばは機嫌をとるような優しさと、毬(いが)のような痛さをまぜて、父の口を飛び出して来る。(私は)もともと感情の強い子なのである。このくらいあおられれば恐れ・まどいを集めて感情は反抗に燃える。意地悪親爺めと思っている。『ふむ、おこったな。できもしない癖におこるやつを慢心外道という。』外道にならない前にあっさり教えてくれろと、不敵な不平が盛りあがる。私ははたきを握りしめて、一しょう懸命に踏んばっている。『いいか。おれがやって見せるから見ていなさい。』房のさきは的確に障子の桟に触れて、痛快なリスミカルな音を立てた。何十年も前にしたであろう習練は、さすがであった。技法と道理の正しさば、まっ直に心に通じる大道であった。かなわなかった。感情の反撥はくすぶっていたが、従順ならざるを得ない」。

著者の文章が、これまたいいのだ。「ここまでくると、他の家族の介入できぬ、父と娘との真空状態のごとき空間を感じさせ、その真空でのみ可能な共通のセンスの交換があらわれているという趣きなのだ。この相手だから父は機嫌よく大上段の正論を滔々と述べ、演説口調と講釈師の口上と噺家の語り口をミックスしてシャワーのように浴びせまくる。娘もまた、父の過酷なノックのコースを見定め、首をすくめたり茫然としたり転倒したりしながらも、エネルギッシュに打たれた球を追いつづける。死の特訓と仲のよい父と娘の遊戯が混り合った、比類ない光景だ。・・・少女時代において、幸田文は露伴の躾についてゆけず、四苦八苦、悪戦苦闘、右往左往をくり返して、父を恨み、恨むこともあった。だが、父の躾の有難味は、年を経るほどに増していったことだろう」。

長じて文人になる文の文章について、著者はこう述べている。「そういう芸を駆使しながら理に落し込んでゆく露伴風を、幸田文さんもまた同じ流儀でなぞってゆく。演説、講釈、哲学、理・・・と展開したあと、話が落語的展開をしてゆくケースもある」。

こう綴る村松の文章が露伴・文の影響を受けていると感じるのは、私だけだろうか。