榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

陽明学は、誕生した中国よりも日本で繁茂した・・・【山椒読書論(315)】

【amazon 『陽明学の世界』 カスタマーレビュー 2013年11月27日】 山椒読書論(315)

私は陽明学に魅力を感じている。『陽明学の世界』(岡田武彦編著、明徳出版社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、陽明学の世界を親身に案内してくれる。

先ず、儒教の中で陽明学はどう位置づけられるのか。「儒教は孔子が古代からの伝統思想を集大成して立てた教学であるが、孔子は色々な知識や教養を身につけ、これを礼によって集約した。孔子は、具体的な行を通じて人に道を教えた。孔子の教を継承して発展させたのは孟子であったが、孟子は孔子の行の道を心に帰したので、その教は孔子よりも一層簡易なものとなった。孟子の心学は宋の陸象山や明の王陽明の源となっている」。

次に、朱子学と陽明学はどこが違うのか。「陽明は知と行を合一とし、朱子はこれを分離するところがあったが、朱子の場合は、知を先にして行を後にするところがあり、それはちょうど朱子が理と気、理と心を一体としながらも、理を先、気を後、理を先、心を後とするのと同じ立場にもとづくものである。実はものを分離して考えるのは知の働きであり、それを総合して一体とするのは行の働きである。前者を知的工夫といえば、後者は行的工夫といってもよいであろう。朱子学と陽明学とは決して対立する立場にあるのではなく、朱子学の中に存する行的工夫を強調していくと、陽明学になっていくという関係にあるといってよいであろう。ただ分り易く敢えて対立的にこれを明かにしようとすれば、朱子学の方は、知的工夫を主とするものであり、陽明学の方は、行的工夫を主とするものであるということができる」。この「知的工夫」「行的工夫」という譬えは理解し易い。

すなわち、朱子学が、対立的に考える、複雑な体系を持つ、人間の頭上に高く聳える、複雑な抽象的な理論である、西洋的な哲学思想であるのに対し、陽明学は、一体的に考える、簡単な体系を持つ、人間の中に埋没する、具体的な実践の理論である、東洋的な哲学思想である――というのだ。ここでいう「西洋的」とは、分析、思弁、論理の面で優れ、「東洋的」とは、統合、体験、実践の面で優れていることを意味している。

それでは、陽明学の要所は何なのか。「王陽明も、人々の現姿には、根器(個性と能力)に分限のちがいがあることを積極的に認めはする。しかし、それを人間としての本質的差別とはみない。万人が本来完全であるということにおいては本質的に平等なのである。各人の現姿に分限の差異を認めたのは、各人に自らの分限に応じたそれなりの分量(自己実現)を満開させることを促すためであり、結果として分量に差異があっても、それが各人の本来完全を分限に応じて実現したことにおいては、等質なのである。王陽明の教化論は、万人の、万人に対する教化であり、万人が教化の主体であり、また客体でもあるのである」。私の理解では、陽明は、能力や知識の如何に拘わらず、人は誰でも、自分が本来持っている素晴らしさに目覚め、行動(実践)によって、その人の限度いっぱいの自己実現を目指せ、と励ましているのだと思う。

「中江藤樹は、日本で最初に陽明学を提唱した儒者である」、「藤樹は陽明に直接師事したわけではないが、陽明の良知に対する理解は深い。その門下から渕岡山と熊沢蕃山がでた」、「陽明の真の知己は日本の中江藤樹とその後継者である」、「藤樹の死後、百余年後にまた陽明学が勃興した」。これは佐藤一斎、大塩中斎(平八郎)によってである。そして、「幕末になると、陽明学は今までに見ないほど活気を呈するようになった。それは陽明学がこの動乱期によく神髄を発揮したためであるが、当時は朱子学よりも陽明学の方が生気に満ちていたように思われる」。当時の陽明学者として、山田方谷、横井小楠、西郷隆盛、吉田松陰らが挙げられている。

陽明学は、誕生した中国よりも日本で繁茂し、今日に至っている。