慎ましく健気に生きた日本の母や妻たちへの讃歌・・・【山椒読書論(350)】
『小説 日本婦道記』(山本周五郎著、新潮文庫)には、江戸時代の女性たちの心意気を描いた11の短篇が収められている。「日本婦道記」というタイトルが古めかしい感じを与えがちだが、彼女たちの生き方は、現代にも通じるものである。
例えば、『風鈴』では、このように描かれている。親しい人たちが夫のことを慮って持ってきてくれた役替え(転職)の話を、夫・三右衛門は断ってしまう。「美味いものを食い、ものみ遊山をし、身ぎれい気ままに暮すことが、粗衣粗食で休むひまなく働くより意義があるように考えやすい、だから貧しいよりは富んだほうが望ましいことはたしかです、然しそれでは思うように出世をし、富貴と安穏が得られたら、それでなにか意義があり満足することができるでしょうか」。客にこう語る三右衛門の声が、隣の間で、行燈を引き寄せ、ひっそりと縫い物を続ける妻・弥生に聞こえてくる。
「たいせつなのは身分の高下や貧富の差ではない、人間と生れてきて、生きたことが、自分にとってむだでなかった、世の中のためにも少しは役だち、意義があった、そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題だと思います、人間はいつかは必ず死にます、いかなる権勢も富も、人間を死から救うことはできません、そして死ぬときには、少なくとも惜しまれる人間になるだけの仕事をしてゆきたいと思います」。ここまで聞いた弥生は、「女と生れ妻となるからは、その家にとり良人(=夫)や子たちにとって、かけがえの無いほど大切な者、病気をしたり死ぬことを怖れられ、このうえもなく嘆かれ悲しまれる者、それ以上の生き甲斐はないであろう」と気づき、夫や子供にとってかけがえのない存在になろうと決意する。
夫が苦しむとき、妻も夫と一緒になって、一つの苦難を乗り切っていく、そういう世界がしっとりと描かれている。この短篇集は、慎ましく健気に生きた日本の母や妻たちへ寄せた、山本周五郎の讃歌である。