榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

この人たちの老後の生き方が勇気を与えてくれた・・・【山椒読書論(499)】

【amazon 『老いの話題事典』 カスタマーレビュー 2014年11月23日】 山椒読書論(499)

老いの話題事典』(石神昭人監修、中野展子著、東京堂出版)は、老いを自覚した人向けの本である。「私たちは、どれほど不老長寿を夢見ようと、遅かれ早かれ生命には終わりがくることを知っています。であれば、老いをマイナスイメージではなく恩恵と捉えて、老いと上手に付き合いながら老後を充実させることができたら、それでこそ一生を幸せにまっとうしたといえるのではないでしょうか」。

「『老化』のメカニズム」「老後の生活設計――長寿社会を快適に生きる」「老いを楽しむ文化――先人の知恵に学ぶ『老人力』」の各章も勉強になるが、私の心に最も響いたのは、「この人たちに学ぶ老後の生き方」であった。

「現代にも通用する長寿法『養生』の実践者 貝原益軒(1630~1714)――益軒は60歳を超えてから主要な著作物を次々に出版します。さらに驚くべきことは、71歳で藩の仕事をやめてから85歳で死去するまで、30冊近い著作を世に出したことです。・・・人生50年といわれた江戸時代前期にあって、益軒のこの驚くべきパワーの源はどこにあったのでしょうか。・・・書を読むことを楽しみ、良き友と交わることを楽しみ、旅をすることを楽しみ、音楽を奏でることを楽しみ、酒食を楽しみ、そして書物を著わすことを楽しむ・・・。益軒はその生涯を通じて何よりも生きる楽しみを追い求めた人物でした」。こういう風に生きられたらなあ。

「不屈の魂で偉業を成し遂げた晩年からの人生 伊能忠敬(1745~1818)――人生50年といわれる江戸時代にあって、50歳を過ぎた晩年から日本の国家プロジェクトに単身取り組んだ男がいました。足かけ17年の歳月をかけて日本全土を踏破し、実測による史上初の正確な日本地図を作った測量学者・伊能忠敬です」。

「飽くなき創作意欲で長寿を全うした 葛飾北斎(1760~1849)――江戸後期、『富嶽三十六景』をはじめ、花鳥、山水、人物、神仙、婦女など、あらゆる画題を縦横無尽に描いた浮世絵師、葛飾北斎。世界でもっとも有名な日本人画家であるとともに、平均寿命50歳ともいわれる時代に、ひたすら絵を描くことだけを考えて90歳まで生き、生涯現役を貫いたことでも知られています。・・・生きてもっと仕事したいという願いは、健康への関心を高めます。北斎は酒も煙草もやらず。質素な暮らしを貫きました。ストレスを解消するためには川柳を詠んだといいます」。

「晩年こそ人生の総仕上げの時期 ジャン・アンリ・カジミール・ファーブル(1823~1915)――(55歳で『昆虫記』第1巻を刊行した)ファーブルはその後、約30年をかけて精力的に『昆虫記』の執筆を続け、最後の第10巻を書き上げたのは、83歳の時でした。昆虫に対するファーブルの好奇心は老いても衰えることはなく、ファーブルは91歳の長寿を全うしました」。自分が追求すべきテーマを持っている人間は強いのである。

「75歳から始めた新しい人生 アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(1860~1961)――油絵の絵筆とチューブ入りの絵具を手に入れたアンナは、初めてメーソナイト板に油絵を描きはじめます。75歳になったアンナの新たな挑戦でした。・・・グランマ・モーゼス(愛称「モーゼスおばあさん」)は終生アトリエを持たず、仕事場は寝室の一部でした。コーヒーの空き缶を絵具入れに使い、古い松材のテーブルの上に新聞紙を広げ、その上で畑や牧場で働く農民たちや、のどかな田園風景などを描き続けました。75歳で油絵を描きはじめ、101歳で現役の画家として死去するまで、グランマ・モーゼスが生涯に描き上げた作品は約1600点にものぼります」。モーゼスの田園生活の絵は私たちを癒やしてくれる。

「『老いらくの恋』を生きた歌人の純な人生 川田順(1882~1966)――川田順は、一流の実業人として住友総本社の常務理事を務め、また数々の優れた歌集や随筆を成した一流の歌人として、また能楽や文芸に精通した優れた学者としても知られています。・・・68歳という老いの身にあっても、なおほとばしるような情熱をもって必死に相手(妻の死後、恋仲になった、28歳年下の歌の弟子で京大教授夫人の中川俊子)を思う、一途で正直な川田の純粋さがよく伝わってきます。川田は70歳を前にして、俊子とともにもう一度歌に取り組んでみようと考えたのです。順と俊子は結局1949(昭和24)年に結婚する・・・。夫や子どもと別れ、貧乏を覚悟して身一つで川田に嫁いだ俊子との生活は、慎ましくも仲睦まじく、幸せなものでした。川田の作品の一番の批評家はいつも妻の俊子でした。すべてを擲った川田は、歌人としての生活で俊子を支えたのです。・・・川田順は、歌人として85年の生涯を全うしたのです」。私も情熱的な人間と自任しているが、この川田の迸るような情熱には圧倒されてしまう。

「65歳で世界の食文化を変えた男 カーネル・サンダース(1890~1980)――65歳を過ぎたカーネルに残されたものは、フォードの中古車と圧力釜、そして『7つの島から採れた11種類のハーブとスパイス』で作るフライド・チキンの調理法だけ。それだけが唯一の財産でした。そこでカーネルは、自分が完成させたフライド・チキンの作り方をほかのレストランに教える代わりに、売れたチキン1つにつき5セントを受け取るというフランチャイズ・ビジネスを思いつきます。・・・カーネルの熱意とフライド・チキンの味はやがてレストランの店主たちが認めるところとなり、このビジネスは大成功を収めました」。

間違いなく、私たちに勇気を与えてくれる一冊だ。