榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

葛飾北斎は、江戸時代のジャーナリストだった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2310)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年8月9日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2310)

ツクツクボウシの雄(写真1~3)、ミンミンゼミの雄(写真4~6)、アブラゼミ(写真7)をカメラに収めました。ミンミンゼミの抜け殻(写真8)を見つけました。ミンミンゼミの抜け殻(写真9、10の上)とアブラゼミの抜け殻(写真9、10の下)は似ているが、アブラゼミの触角は第3節が最も長く、ミンミンゼミの触角には、そういう特徴がないので見分けることができると、昆虫に造詣の深いSさん推薦の『セミ ハンドブック』に記されています。コシロシタバというガ(写真11)に出会いました。コシロシタバの同定は、Sさんの教示を受けました。

閑話休題、『江戸のジャーナリスト 葛飾北斎』(千野境子著、国土社)は、人間・葛飾北斎にスポットライトを当てています。

「(小野小町の一生を描いた『七小町』の)屏風を通して強く感じたのは、人間の一生に対する葛飾北斎という絵師の、冷めた眼差しでした。絶世の美女も、いつかは必ずじまんの黒髪を失い老婆になる。お百度参りをしたところで、ねがいがかなうとはかぎらない。人生一寸先は闇、ドンデン返しだってある。屏風は、もともと『七小町』の題材の注文を受けて描かれたものですが、北斎のメッセージのようにも感じました。北斎の対象へのアプローチの仕方、事実を事実として冷厳に見るリアリストとしての眼は、あたかも、江戸時代のジャーナリストであるかのように思えました。もちろん、ジャーナリストという言葉も職業も、江戸時代には存在しません。瓦版と呼ばれる事件を記録した摺りものや、それを読んで売り歩く人はいましたが、ジャーナリストとはいいがたい」。

「江戸参府で(長崎の出島の)オランダ商館が定宿として使っていた旅籠屋は、幕府御用達の、日本橋本石町にある長崎屋でした。北斎はこの長崎屋を描いています。長崎屋の前に集まってきた野次馬精神旺盛な江戸っ子たちが、中をのぞきこもうとしているのを、カピタン(商館長)が窓から見下ろし,ながめているという構図です。紅毛碧眼のオランダ商館員一行に、江戸の人々は興味津々だったけれど、逆もまた真なりでした。さらにそれを、これまた好奇心いっぱいの北斎が、じっと見つめて絵にしている。こんなところにも、北斎の、つねにニュース(新しいこと)を探しもとめ、それを描かずにはいられないジャーナリスト魂を感じます。野次馬だけでなく、その野次馬を見るオランダ人にも注がれる北斎の眼差し」。

「(歌川)広重と北斎の『東海道五十三次』は、対象は同じでも作風はまったくちがいます。広重の東海道は風景の美しさがきわ立っています。人物ももちろん描かれていますが、人々の目は風景の方に注がれ、引きよせられてしまいます。・・・これに対して北斎の東海道は、もちろん風景を描いてはいます。しかしむしろそこに配された人物や馬、船、沿道の茶屋といった風物、風俗などの方が魅力的で主役に思えます。・・・風景は刺身のつま、といったらいい過ぎかもしれませんが、それ以外の小道具がとても興味深く、当時の世相や雰囲気までもが伝わってくる感じです。その意味でも、北斎の東海道五十三次の取り上げ方は、やはりジャーナリストの感覚だと思います」。

高齢になっても頑張り続ける北斎にも、スポットが当てられています。

「(60代後半に中風で倒れた後も)北斎は、『北斎ここに在り』とばかりの、自由でにぎやかな活動をつづけてゆきます。傑作『富嶽三十六景』の発表は72歳、『富嶽百景』はその3年後の75歳まで待たねばなりません。活躍の期間の長さにくわえて、画業のピークが晩年に集中している感もあります。19歳で絵師・勝川春朗としてデビューして以来、実力派の北斎は何時の時代も水準を超える作品を世に送り出し、時代の最先端をつねに歩いていました。それでも、今日ものこる『これが葛飾北斎』という真骨頂、オリジナリティの確立は、やはり後半生にあるように思います。まさに継続は力なり。北斎は今日の『人生100年時代』を、200年も前の江戸時代に、見事に先取りした絵師でした」。

「小布施訪問から江戸へもどって後、88歳から90歳で亡くなるまでの最晩年の3年間も、北斎の創作への情熱や意欲は衰えを知りません。88歳は米寿を祝い、自らをふるい立たせようとの気持ちもあったのでしょう、いちだんと多くの作品を描いています。さらに亡くなる前年の弘化5(1848)年、89歳の北斎は、絵手本『画本彩色通』と、嘉永と改元した同じ年に『地方(じかた)測量之図』という、人々が方位盤などを使って測量する風景を描いた錦絵も発表しています。北斎は当時の測量技術の知識まであったのか、それともだれかに教えてもらったのか、新しいものへの好奇心におどろかされます」。

現在の言葉で言えば後期高齢者になっても情熱を燃やし続けた北斎に、お前も頑張れよ、と肩を叩かれたような気分です。

本書の年齢表記は数え年なので、満年齢では北斎は88歳で亡くなっています。

北斎の作品の数々を、じっくりと見直したくなりました。