葛飾北斎を描く松本清張の筆がかなり辛辣な理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1589)】
熱帯魚たちは涼しげです。因みに、本日の歩数は10,882でした。
閑話休題、もし、葛飾北斎が、短篇集『岸田劉生晩景』(松本清張著、新潮文庫)に収められている『北斎』を読んだら、何と言うでしょうか。北斎を描く松本清張の筆はかなり辛辣です。
「春朗(=北斎の若い時の画名)は腕が上ってくると、いつまでも勝川派の画風に満足していられなくなった。狩野派の絵に彼の眼が惹かれてくる。視野がひろがったというのではなく、正直に云えば、一つところに定住出来ない彼の生来の飽き心からであった。飽き心とは、好奇心である」。
「清長、歌麿の女絵がもてはやされている。殊に歌麿の肉感的な美人画は、頽廃的な時代の空気に迎えられて、人気をあつめていた。歌麿は遊蕩に耽溺しながら、青楼遊女の肉体を写していた。人一倍競争心の強い北斎が、それを意識に置かない道理はなかった。彼も遊蕩に収入の殆どを費消した。始終、貧乏なのはその結果であった。しかし、女絵については北斎は所詮は歌麿に敵わないと思った。彼も負けずに秘戯図を描いたが、歌麿の『絵本歌まくら』には及ばなかった。この劣敗感が、彼を漫画や妖怪画や風景画に赴かせた。線も歌麿の流麗さに反撥して、わざとぎこちない、ごつごつした線にした」。
「中風は、娘のお栄と、彼自身の養生とで間もなく回復した。気力だけは相変らず旺んであった。しかし、画技は下り坂になっていた」。
「江戸に帰ってくると、お栄をはじめ、北渓、辰斎、北寿、北馬などの門弟に迎えられた。彼らは北斎の老いさらばえた姿が、改めて眼に映った。その傷むような眼つきが北斎の気に入らない。年齢はとったが、誰にも負けるものかと思っている。出版された『富嶽三十六景』の批評がやはり悪くないことを知った。このことが北斎を元気づける。それ見たことか、と強がった。どこかで崩れる音が聞えそうだが、それには耳を塞いだ」。
「彼には、現在、天下一の画工はおれだという自負があった。それだからこそ、何とか北斎の名を落さずにどこまでも保ちたい意識に取り憑かれていた。・・・(借金取りから)匿れざるを得なかったが、北斎の健在は飽くまで知らせて置きたいのであった。何処に居ようとも、かれは第一人者として記憶してもらいたかった。・・・精神も頭脳も硬化したことは分っている。新しい感興も起らず、充実感も無かった。――空になった己を、北斎は無理に肩を聳かして引きずっていた。北斎という名が、世間から引き退れないのだ。彼は落涙した」。
「五年生きのびたらほんとの画工になれると云ったのはどういう意味であろう。彼は(88歳で)死ぬまで己が一流の画家でると気負っていた。いまさら、ほんとの画工になれるもあったものではない。涸渇した彼の才能を、もう一度壮年のころに及びつかせようという希望であったら、死にのぞんだ唐人の虚妄な譫語であった」と、結ばれています。
好奇心、負けず嫌い、自負心――。読み終わって、この短篇は、北斎に仮託して清張自身を語っているのではないか。ふと、そんな気がしました。