榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

天才数学者は、なぜ100万ドルの賞金を受け取らずに姿を隠したのか・・・【山椒読書論(164)】

【amazon 『完全なる証明』 カスタマーレビュー 2013年3月22日】 山椒読書論(164)

グリゴーリー・ペレルマンというロシアの天才数学者が数学における世紀の超難問「ポアンカレ予想」を証明したのに、その賞金100万ドルを受け取らずに姿を隠したのはなぜか。世間はおろか数学界との接触も断ち、元数学教師の母親とアパートでつましく暮らしているのはなぜか。『完全なる証明――100万ドルを拒否した天才数学者』(マーシャ・ガッセン著、青木薫訳、文春文庫)は、私のこれらの疑問にしっかり答えてくれた。

そもそも、ポアンカレ予想とは何か。「球、箱、丸パン――あるいは何であれ、ひとかたまりになった穴のないもの――は、本質的にすべて同じものである。しかし穴のあいたドーナツやベーグルは違う。これを理解するときには、輪ゴムを考えてみるとよい。想像上の輪ゴムが、想像上の物体にかかっているとしよう。ただし、ここでいう輪ゴムは、出っ張りやへこみにひっかかれば、物体の表面から浮き上がらないようにしながら、するするとゆるんで、その障害物を乗り越えるものとする。また、この輪ゴムを球にかければ、するすると縮んで、ついにはひとつの点になって消える。球の場合にとくに重要なのは、輪ゴムがどのようにかかっていたとしても、必ず、するすると縮んで点になることだ。しかしベーグルでは話が違ってくる。ベーグルの場合、ある程度以上は縮むことのできない輪ゴムのかかり方があるからだ。球、箱、丸パン、穴のない塊なら、輪ゴムがどのようなかかり方をしていても、一点に縮むことができる。それが、これらの物体に共通する性質なのだ。これらの形のどれをとっても、延ばしたり縮めたりすれば他の形にすることができるし、また延ばしたり縮めたりすれば、もとの形に戻せるということだ」。三次元空間でもこのことが成り立つと、数学者のアンリ・ポアンカレが予想したのだが、ポアンカレを含め誰もこのことを証明することができなかったのだ。全世界の我はと思う大勢の数学者が次々と、100年間、挑戦してきたというのに。

「数学はペレルマンに、自分の空想世界の中で、抽象的な対象とともに生きる自由を与えてくれたのであり、それだからこそ、彼はこの問題を解かなければならなかったのだ」。ペレルマンは、かつて誰にも解けなかった問題だからこそ、自らの頭脳というスーパーコンピューターの性能を全開にしてポアンカレ予想に取り組んだのだ。

ペレルマンと他の大勢の数学者を分けたものは何か。ポアンカレ「問題は十分シンプルに定式化されていたが、解答は複雑をきわめ、ペレルマンが登場するまで、その全貌を把握できるほどタフな頭脳をもつ者はいなかった。彼よりも独創的な頭脳の持ち主や、インスピレーションのひらめく頭脳の持ち主が、問題を部分的に解明してはいたが、全体像を捉えることはできなかったのだ」。一方、「(著者の)調査を通して見えてきたのは、彼(ペレルマン)の頭脳のタフさだった。彼が数学の恐るべき難問を攻略できたのは、独創力のおかげでも、想像力のおかげでもなく、強靭な頭脳のおかげだったのだ」。「彼(ペレルマン)がこの予想の証明を(7年かけて)成し遂げることができたのは、あらゆる可能性を見通して把握するという、底知れぬその頭脳の威力を全開にしたおかげだった」というのだ。

36歳のペレルマンは権威ある学術専門誌に論文を掲載するという一般的な方法を取らずに、ウェブサイトにとことん切り詰めた論文を投稿するという型破りな流儀で公表し、数学界に衝撃を与える。それは2002年11月12日・午前5時9分2秒(米国東部標準時)のことであった。

ペレルマンは、数学界のノーベル賞ともいうべきフィールズ賞の受賞を固辞し、クレイ数学研究所からポアンカレ予想の証明者に提供される100万ドルも受け取らずに、姿を消してしまう。

この背景には、ヤウ・シントゥン(丘成桐)という数学界の大物で権力欲に駆られた卑劣な人物が関わっていると、著者が告発している。この男はペレルマンの論文をほぼ丸写しし、ペレルマンの業績を横取りしようとした。純粋に数学を愛するペレルマンはこのような数学界に嫌気が差し、人間不信に陥ったというのである。

この痩せて背が高く、長髪で、爪も長く伸ばした、「あまりにも才能に恵まれ、あまりにも孤独」なペレルマンに尊敬の念と親近感を感じてしまうのは、私だけだろうか。