春画の男女は、なぜあんなに不自然な姿勢を取っているのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(270)】
これはムクドリたちですが、夕暮れ前には、あちこちでいろいろな野鳥たちが情報交換を騒々しく行っています。女房が近所の方から頂いたニホンズイセンが、室内をパッと明るくしてくれています。因みに、本日の歩数は12,598でした。
閑話休題、カラー図版満載の『春画入門』(車浮代著、文春新書)の著者は、「2015年の秋から、日本で初めての『春画展』が、東京都文京区の永青文庫にて行われることになりました。これは2013年の秋から14年の年始にかけて、ロンドンの大英博物館で開催された『春画――日本美術における性とたのしみ』展の凱旋記念展に当たります。英国の大手新聞社が最高評価をつけ、9万人もの入場者を集めたことでも話題になりました。ようやく日本でも、公的に春画を鑑賞できる時代がきたのかと心弾む思いです」と、喜びを表明しています。私にとっても、隔世の感があります。
浮世絵や春画は、各人が自由に鑑賞し、自分なりに楽しめばいいのですが、基本的な知識があれば、より楽しめますよという観点から、本書は書かれています。
「浮世絵版画は、絵師・彫師・摺師の3師の技量が揃って成立する総合芸術で、その3師が幕府の規制を気にすることなく、存分に彫摺の腕をふるえたのが春画です」。版元(地本絵草子問屋)がクライアント、絵師がクリエイター、彫師が製版スタッフ、摺師が印刷スタッフという位置づけだというのです。
「ここが今の感覚と大きく違うところですが、現代では、エロティックな作品や商業物は低俗と見られがちなのに対し、春画錦絵に関しては全く逆でした。絵師も彫師も摺師も『版元から春画の依頼を受けてこそ一流』とみなされたのです。その証拠に、現在も名が知られている浮世絵師たちは、わずか10カ月弱の作画期間で消えた写楽を除いて、全員が春画を手がけています」。実際、菱川師宣、奥村政信、月岡雪鼎、鈴木春信、勝川春章、鳥居清長、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川豊國、歌川國貞、溪斎英泉、歌川國芳らが春画を描いていますが、興味深いのは、風景画の名手・歌川広重は春画が下手だったということです。
春画では、男性と女性が交わるときの体位が不自然なほど難しい姿勢で描かれていること、男性の一物が極端に大きくデフォルメされていること――はなぜかと不思議に思う向きは、当時、春画が何に使われたのかを知れば、疑問が氷解することでしょう。「春画は一人でこっそり楽しむものというより、老若男女、貴賤を問わず、数人で見せ合って楽しんだり、同衾する二人で性技の手本にしたり、という鑑賞方法が取られていました。・・・さらに、大名家や裕福な商家の娘の嫁入り道具として、肉筆の春画絵巻を持たせる習慣がありました。これは春画を観ることによって房中術を学び、性欲を奮い立たせ、子づくりに励むようにとの親心です。また、春画は勝絵(かちえ)とも呼ばれ、お守りの役割も持っていました。商家は火災除けのおまじないに蔵に春画を置いたり、虫除けに長持ちに入れることもあったようです。武士は武運長久を祈って具足櫃に春画を忍ばせました。・・・このような例からも。日本では古来より、男女和合の『性』のパワーこそ『生』につながるパワー、と考えられていたことがわかります」。