ノーベル賞受賞者に、これほどの変わり者がいたとは・・・【山椒読書論(450)】
amazonのブック・レヴュー(書評)を通じて知り合ったMから「抜群に面白いですよ」と薦められて、『マリス博士の奇想天外な人生』(キャリー・マリス著、福岡伸一訳、ハヤカワ文庫)を手にした。
この著者のキャリー・マリスは、ノーベル賞受賞者とは思えないほど、風変わりで自由奔放かつ型破りな人物である。自らのLSD体験や超常体験を大っぴらにするかと思えば、O・J・シンプソンの無罪を公言し、占星術を高く評価する。あげくの果てに、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)はエイズの原因ではないとシンポジウムで発表しようとするし、エイズ治療薬AZT(核酸系逆転写酵素阻害薬)を公然と非難する有様だ。
「私自身はかねてより、私ほど正直にLSDの使用歴を認め、LSDを擁護してきた人物はいないと自認しており、この主張にまったく恥じるところはない。違法であることを知ってLSDを使用したことを、これほど正直に認めているのである」。
シンプソンの裁判に巻き込まれた時のこと。「私は大勢を前にして話をするのもうまいのだ。さしものハーマン検事補もそこまでは知らないはず。私の前歴についていろいろと調べあげたとは思うが、私が複雑なことから核心を取り出して見せるのがとてもうまいこと、難しいことがらを分かりやすくまとめて話すのがとても得意なことまでは、どこにも書かれていなかったはずだ。そういうふうに説明をすれば、陪審員はきっと何が重要なのか分かってくれると思った。彼らに専門的な化学用語や細かいデータや統計などの知識がなくとも、分かりやすく説明する術を私は心得ていた。そしてロス市警の科学鑑定の問題点も解説できる。そんなことはつゆも知らず、ハーマン検事補は私のことを単なる変人と思っているのだろう。事実、彼はそう発言したのだ。つまり彼は私をなめているのだ。だから、彼は私が法廷でさらし者になるのを楽しみにしていたのだ。楽しみにしていたのは私も同じだった、しかし、この対決は結局、実現しなかった。私も残念だし、彼も残念だったろう、せっかく、私は法廷でハーマン検事補の鼻を明かす準備をしていたのに」。この部分だけでも、マリスの特異な人物像を知るには十分だろう。
しかし、彼が「デートの途中でひらめいた!」と言うポリメラーゼ連鎖反応(PCR)は、ノーベル化学賞に値する素晴らしい発明である。「これ(PCR)は人間の微細な遺伝子を、まるで道路沿いの荒地に立てられた巨大広告を見るくらいに拡大する技術なのであり、おもちゃのブロックをいじるくらい簡単に操作できるようにする技術なのだ。PCRに高額の装置は必要ない。PCRによって超微量のDNAを検出できる。そしてそれを何十億倍にも増幅できる。しかもごく短時間のうちに。この方法は遺伝子疾患の診断にも有用だ。これで個人の遺伝子の中の病気を見つけることができる。培養して調べることが難しい病原体の遺伝子を検出できるので、感染症の診断にも利用できる。PCRは犯罪捜査でも力を発揮する。微量の証拠品、たとえば精液、血痕、毛髪から犯人が誰かを言い当てることができる。PCRはまったく新しい分野をも開拓しうる。たとえば、分子考古学。・・・PCRならこんなこともできる。もし、他の惑星でDNAが見つかったとしよう。人類と同じような生物がかつてそこに住んでいたのか。それとも別の起源をもつ、人類とは似ても似つかぬ、まったく別の生物がそこに存在したのかがPCRによって判明する」。この説明を見ると、彼が、「私が複雑なことから核心を取り出して見せるのがとてもうまいこと、難しいことがらを分かりやすくまとめて話すのがとても得意」だという自慢を肯定せざるを得ないなあ。
研究者の論文については、こう記している。「科学者たちは自分の研究を公表するために論文を書く。自分の研究について述べた論文を書き、それを出版することは科学者のキャリアにとって必要不可欠のことであり、主要学術誌に論文が出た実績がないと地位が危うくなる。ふつう、論文は、結論を支持する実験が完了し、十分吟味された上で公表される。主要な学術誌に載る論文は一つの実験の内容をことこまかく記述しなければならない。あるいは出典をきちんと引用する。その結果、他の誰もが、実験を正確に繰り返すことができ、別の人の手で同じ結果が出るかどうか検証される。もし、同じ結果が出なければそれがまた論文として公表される。対立点はやがて解決されていく。論文を読むと何がどこまで明らかにされているかが分かる」。今、話題の小保方女史も、事前にこの本を読んでおけばよかったのに。
本書は、「人類ができることと言えば、現在こうして生きていられることを幸運と感じ、地球上で生起している数限りない事象を前にして謙虚たること、そういった思いとともに缶ビールを空けることくらいである。リラックスしようではないか。地球上にいることをよしとしようではないか。最初は何事にも混乱があるだろう。でも、それゆえに何度も何度も学びなおす契機が訪れるのであり、自分にぴったりとした生き方を見つけられるようにもなるのである」と結ばれている。あらゆる面で自分とは正反対な著者に反撥を感じながら最後まで読み通してしまったが、ここに来て、彼のよさを認めたがっている自分に驚いている。