榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

同年生まれのケインズとシュンペーターは、互いを認めていなかった・・・【山椒読書論(469)】

【amazon 『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ』 カスタマーレビュー 2014年7月28日】 山椒読書論(469)

毎月、参加している早朝勉強会――舩橋晴雄主宰のシリウス企業倫理研究会――の7月例会で吉川洋の講演を聴き、吉川の『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ――有効需要とイノベーションの経済学』(吉川洋著、ダイヤモンド社)を読みたくなった。

本書により、●ジョン・メイナード・ケインズとヨーゼフ・アロイス・シュンペーターの経済学をざっと復習することができた、●二人のしっくりいったとは言いかねる関係の機微に触れることができた、●著者が二人の経済学を統合するという大胆な試みに取り組んでいると知った――ことに満足している。

共に1883年に生まれた「ケインズとシュンペーター、20世紀を代表する二人の天才経済学者は最後まですれ違った。有効需要の不足を資本主義経済の抱える最大の問題としてとらえ『ケインズ経済学』を打ち立てたケインズ。一方、イノベーションこそが資本主義経済の核心だと考え、不況は単なる『お湿り』にすぎないと言ってのけたシュンペーター。二人の経済学はどこまで行っても水と油なのだろうか」。

「今ではケインズの経済思想は『バラマキ財政論』『大きな政府』『官僚主導主義』だとして新自由(経済)主義者によって批判されることが多い。しかしこれは歴史の理解を欠いた皮相な見方である。三巻本から成るケインズの伝記を書いたロバート・スキデルスキーが正しく指摘したとおり、ケインズの基本的な考え方は、社会主義とファシズムという左右両サイドの「集産主義」から深刻なチャレンジを受けた資本主義を救おうとする『リベラリズム』の立場だったからである。自由主義経済のアキレス腱である有効需要の不足、失業の問題に対して『マクロ』の経済政策で対処することにより、逆に『ミクロ』のレベルでは個人の自由が最大限に保証されることになる。こうケインズは考えた」。

「昔からあるモノやサービスに対する需要は必ず飽和する。このことはシュンペーターも認めた。そこから先がシュンペーターとケインズで違うのである。ケインズは需要不足は与えられた条件だとして政府による政策を考えた。シュンペーターは、需要が飽和したモノやサービスに代わって新しいモノをつくり出すこと――すなわちイノベーションこそが資本主義経済における企業あるいは企業家の役割なのだと説いた。イノベーションによって新しいモノが生み出されるから『恒久的』に需要が飽和することはない」というのだ。

「日本を代表する理論経済学者であった柴田敬は、1936年駐英公使だった吉田茂の紹介によりロンドンでケインズと面会した。このときに交わした次のような会話を書き残している。<君はシュムペーター教授のところで勉強していたそうだが、タウシッグ教授は偉い人だったけれども、きわめて大きい間違いをした。それは自分の後任者としてシュムペーターを選んだことである>。シュンペーターをケインズはまったく評価していなかったのである。・・・シュンペーターによる『(雇用・利子・貨幣の)一般理論』の書評――辛辣な書評を、プライドの高いケインズは生涯許さなかったに違いない。ケインズはシュンペーターを嫌っていたのだ」。

一方、「シュンペーターは最後まで『一般理論』が真の『一般理論』であることを認めなかった。またケインズ自身が強調してやまなかった理論上の独創性も認めなかった。『消費関数』『流動性選好』などケインズ特有の理論装置は、ただ既存の学説の名前を変えたものにすぎないと考えた。『一般理論』は『一般理論』の装いを凝らした一級の『時論』――あくまでもイギリス経済に関する時論であるとみなした」というのである。

久しぶりに、経済学の復習ができて、よかった!