榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

シュンペーターとケインズの勝敗を、ドラッカーが判定・・・【山椒読書論(303)】

【amazon 『すでに起こった未来』 カスタマーレビュー 2013年11月5日】 山椒読書論(303)

すでに起こった未来――変化を読む眼』(P・F・ドラッカー著、上田惇生・佐々木実智男・林正・田代正美訳、ダイヤモンド社)は、1994年に出版された本だが、全然古びていない。

どの章も勉強になるが、私にとって一番興味深かったのは、第4章の「シュンペーターとケインズ」である。

――今世紀(20世紀)の二人の偉大な経済学者、ジョセフ・A・シュンペーターとジョン・メイナード・ケインズは、ちょうどいまから100年前、わずか数か月違いで生まれた。

――シュンペーターは、ケインズの答えはすべて間違いであるか、少なくとも間違いを招くものであるとしたが、理解ある批判者だった。事実、アメリカにおけるケインズの地位を不動にしたのはシュンペーターだった。逆にケインズも、シュンペーターを尊敬に値する数少ない経済学者の一人であると考えていた。ケインズは講義において、シュンペーターが第一次大戦中に発表した著作に何度も言及し、とくに計算貨幣に関するシュンペーターの論文は、貨幣を考えるうえで最初の刺激になったと言った。
二人の主張は真っ向からぶつかったが、互いに相手の優れた資質を認めていたのである。

――シュンペーターとケインズはしばしば政治的に対照され、シュンペーターは保守的、ケインズは進歩的であるとされる。しかし、事実はむしろその逆である。政治的には、ケインズの見方は我々が今日新保守派と呼ぶものに近い。彼の理論の底には自由市場に対する強烈な愛着があり、自由市場から政治家や政府を排除したいという願望があった。これに対してシュンペーターは、自由市場に対する深刻な疑問をもっていた。

――しかし、シュンペーターとケインズの違いは、経済理論や政治的見解よりも深いところにあった。二人は、異なる経済の現実を見、別々の問題に関心を寄せた。そして、経済学を違うものとして定義した。この二人の違いこそ、今日の経済の世界を理解するうえできわめて重要である。
このドラッカーの指摘は、二人を理解する際のよき道しるべとなる。

――ケインズにとって、経済学の中心的な問題は、財やサービスの実物経と貨幣や信用のシンボル経済との関係であり、個人や企業のミクロ経済と国のマクロ経済との関係だった。そして、経済を動かすものは、生産すなわち供給か、消費すなわち需要かという問題だった。ケインズのシステムにおいては、貨幣や信用のシンボル経済が実体であり、財やサービスはそれに依存する影にすぎなかった。マクロ経済すなわち国の経済がすべてであって、個人や企業には、経済の方向づけはもちろんのこと、経済に影響を与えたり、マクロ経済に対抗しうる有効な意思決定を行なう能力はなかった。そして、あらゆる経済現象、すなわち資本形成・生産性・雇用は需要の関数だった。
ケインズは「貨幣・信用重視、マクロ経済・国の経済重視」、一方、シュンペーターは「財・サービス重視、ミクロ経済・個人や企業の経済重視」と、両者は対極に位置していたのである。

――しかし今日我々は、シュンペーターが50年前に知っていたように、これらケインズの答えがすべて誤りであることを知っている。事実、正統ケインズ学派であれ、ミルトン・フリードマンの(均衡経済学のケインズのシステムを応急修理しようとする必死の試みである)修正版であれ、ケインズ学派の経済政策はすべて、その実施にあたって、個人や企業のミクロ経済が、突然何の警告もなく、ほとんど一夜にして貨幣の流通速度を変えたために挫折してきた。
ドラッカーは、ケインズは誤っていた、ケインズ経済学は有効性を失ったと断言しているのだ。

――シュンペーターの考えでは、ケインズの根本的な間違いは、健全かつ正常な経済は均衡状態にある経済であるとする前提そのものにあった。シュンペーターは、現代の経済は常に動的な不均衡状態にあると考えていた。経済は永遠に成長変化するものであり、その本質は機械的ではなく生物的である(ここから、革新者を経済学の真の主役とするシュンペーターの有名な理論が生まれたのである)。このようにして、ケインズが異端者であるならば、シュンペーターは異教徒であった。
ドラッカーの比喩の見事さよ。

――シュンペーターは、イノベーション、すなわち資源を陳腐化した古いものから新しい生産性の高いものへと移す企業家精神こそ経済の本質であり、とくに現代経済の本質であると主張した。利益に経済的な機能を与えたのである。変化とイノベーションの経済にあっては、利益は、マルクスとその理論が言うような労働者から搾取した剰余価値ではない。逆に、利益は、労働者の雇用および労働による所得を生み出す唯一の源泉である。シュンペーターの有名な言葉によれば、イノベーションとは創造的破壊である。それは昨日の資本設備と資本投資を陳腐化させる。したがって、経済が発展するほど資本形成が必要となってくる。経済における富の増殖能力を維持するためには、とりわけ今日の雇用を維持し明日の雇用を創出するためには、資本形成と生産性向上が不可欠となる。
「創造的破壊」という言葉は、ビジネスに携わる者にとって魅惑的な響きを有しているが、実行がたやすくないことは多くの者が実感していることだろう。

――今日のところ、シュンペーターの言う創造的破壊を行なう革新者こそ、我々が利益と呼ぶものの存在を説明できる唯一の根拠である。

――短期の最適化が長期の正しい未来をもたらすというケインズのような考え方は、今日完全に間違っている。ケインズは、現代の政治・経済・企業活動における極端に短期的な見方、すなわち、アメリカの政治と経済における政策決定者の最大の欠陥として、今日きわめて正しく指摘されている短期的な見方について、非常に大きな責任がある。
ドラッカーはケインズを手厳しく断罪している。

――応急的なもの、人気あるもの、才気あふれたもの、優れたものの長期的な結末について、徹底的に考えるべきことを一貫して重視したことによって、シュンペーターは偉大な経済学者、今日のための適切なガイドとなっている。短期的で才気あふれる優秀な経済学と、短期的で才気あふれる優秀な政治が破産してしまった今日、とくにそのことが言える。
「短期的な見方の重視」と「長期的な見方の重視」の戦いは、既に勝負がついていると、ドラッカーは言うのだ。

ケインズとシュンペーターの比較は、いろいろな人によってなされているが、ドラッカーの判定は明快で、説得力がある。