追い出し部屋に放り込まれた男に届いた、「ニワトリは一度だけ飛べる」という不可解なメール・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1556)】
隣家のブドウ棚に作った巣で、今日も、キジバトがじっと動かずに卵を温め続けています。シロタエギクが黄色い花を咲かせようとしています。カラーの白い仏炎苞が目を惹きます。さまざまな色合いのアサガオが咲き競っています。我が家の庭で、ペンタス・ランケオラータ(クササンタンカ)が赤い花を咲かせ始めました。
閑話休題、『ニワトリは一度だけ飛べる』(重松清著、朝日文庫)は、追い出し部屋に送り込まれた社員たちに、「ニワトリは一度だけ飛べる!」とエールを送る小説です。
業務用の冷凍食品の製造から卸までを手がける三杉産業の39歳の営業二課係長・酒井裕介は、突然、イノベーション・ルームという名の追い出し部屋に放り込まれてしまいます。時を同じくして、酒井と同期の出世頭、37歳で商品開発部の部次長に抜擢された羽村史夫も、社長を巡る派閥争いに巻き込まれ、イノベーション・ルームに送り込まれてきます。
もう一人、イノベーション・ルームにやって来た男がいます。大阪支社から移ってきた入社10年目の中川政夫だが、彼は自らこの部署への異動を希望したというのです。
「イノ(ベーション)部屋の一日は、ほんとうに長かった。与えられた仕事は、会社の改革案のレポート作成――どんなに分厚いレポートを提出しても読んでもらえないことくらい、見当はつく。それでも、(定年間近の)江崎(三郎室長)の許可なしに社外に出ると、たちまち怠業の口実を会社側に与えてしまうことになる。ほとんど軟禁状態と言ってもいい。来客はない。電話も鳴らない。ファックスも来ない。ときどき思いだしたように入ってくるメールも、営業の仕事の引き継ぎにかんすることばかりで、内容を鎌田(統括営業本部長)にチェックされることを警戒してか、文面はどれも通りいっぺんで、そっけなかった」。
酒井に、「ニワトリは一度だけ飛べる」という件名のメールが届きます。「メールは社外から送信されていた。差出人のアドレスに心当たりはない。意味があるのかないのか、アルファベットと数字を適当に組み合わせただけのようにしか見えなかった。『ニワトリは一度だけ飛べる』――件名も、さっぱりわけがわからない。・・・<酒井裕介様>。メールの一行目に、はっきりと名前が記されていた。ニ行目からは、差出人の名前抜きで、すぐに本文に入る。<ほんとうか嘘かは知りません。たぶん嘘だと思います。でも、もしもほんとうだったとしたら、ちょっと素敵なお話です>。そんな一文で始まる、長いメールだった。・・・返事は出さなかった。だが、このまま削除するのもためらわれて、受信トレイに置いたままだ。<信じられるかどうかではなく、たいせつなことは、信じるかどうか、だと思います>。その一言が、妙に心に残っていた」。
「ニワトリは一度だけ飛べる」のメールを送り付けてきたのは、いったい誰なんでしょう。酒井に再び届いたメールには、<つらいときには『オズの魔法使い』を読みましょう。L・F・ボームの書いた『オズの魔法使い』には、わたしたちが生きるために必要なことがすべて書かれています。そして、わたしたちの誰もが、『オズの魔法使い』に出てくる登場人物(『人物』といっても人間はヒロインのドロシーだけですが)の誰かにあてはまります>と書かれているではありませんか。
えげつない手をいろいろ使って追い出しを仕掛けてくる鎌田一派に、酒井らは、遂に、反撃――ゲリラ戦――を開始します。
本書の冒頭に、「この物語は、平成の半ば頃、とある冷凍食品会社で起きた内部告発事件をめぐる、ささやかなゲリラ戦の記録である――。筆者はこの物語を事件の直後、二〇〇二年から翌年にかけて、いったん週刊誌連載で発表したものの、諸般の『事情』があって(小説と銘打ち、戦記というよりむしろ寓話に仕立てあげたつもりでも、やはり少なからぬ関係筋を刺激することになってしまったのだ)、単行本化は見送った。しかし、平成が終わろうとする頃になって状況が大きく変わった。事件に深く関わり、有形無形さまざまな『事情』を押しつけて単行本化を拒んできた関係筋の中で、最も強硬な姿勢だった人物が亡くなったのである」という文言が添えられています。
実話としても、小説としても読み応えのある作品であるが、私は個人的に特別な感慨を覚えました。私が長年勤めた、ある製薬企業の経営陣を巡る派閥争いに巻き込まれて失脚し、数年間、窓際族生活を余儀なくされたことを思い出したからです。