日本学術会議会員任命拒否事件は、学問の自由、民主主義に対するクーデタだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2180)】
ハナモモの園芸品種・キクモモ(写真1、2)、ハナズオウ(写真3、4)、ライラック(リラ。写真5、6)、ヴィバーナム・ティヌス(トキワガマズミ。写真7、8)、トキワマンサク(写真9、10)、ベニバナトキワマンサク(写真9、11)、モッコウバラ(写真12)、ハナミズキ(写真13、14)が咲いています。我が家では、ハナミズキ(写真15)が赤みを帯びてきました。ハナミズキの白い花弁、赤い花弁のように見えるのは総苞です。因みに、本日の歩数は11,433でした。
閑話休題、論考集『学問の自由が危ない――日本学術会議問題の深層』(佐藤学・上野千鶴子・内田樹編、晶文社)には、政権によって学問の自由が脅かされたことに対する危機感が漲っています。
「いきなり闇から怪物が現れ、何かを破壊し、不気味な力で何かを始めようとしている。菅義偉首相による日本学術会員6名の任命拒否(2020年10月1日)は、科学者のみならず一般市民を震撼させ、社会全体に衝撃を走らせた」。私も強烈な衝撃を受けた一人です。
「任命拒否の暴挙に対し、科学者と市民とメディアは、学問の自由の危機、民主主義の危機、立憲主義の危機、ファシズム前夜の危機を感受し、いたるところで声をあげてきた。その声の広がりも象徴的である。現在(2020年12月)までに800を超える学会、200を超える団体が抗議声明を公表してきた。科学者がこれほど大規模に連帯したのは歴史上初めてである。その一方で、インターネットには学者と学問に対するルサンチマンが噴出し、デマやフェイク情報が氾濫した。これも事件の様相の一つである。このポピュリズムを基盤として『クーデタ』(国家=憲法と社会=民主主義を転覆する企て)が進行している。もし、この企てが成功するならば、社会も国家も闇の中をさ迷うことになるだろう。学問を失った社会は暗闇でしかない」。
「学問の世界は異論の集合である。学者同士は仲がよいとはいえない。なぜなら仲間はつねに論敵だからである。だが学者同士は、異論を批判しても相手の人格を攻撃しない論争の作法を身につけてきた。そして学問は、異論のなかでこそ、鍛えられ、発展してきた。政府のキーワード、『イノベーション』は異論のなかでこそ生まれる。異論なきところに『イノベーション』はない。異論排除は学問の死を意味する。この度、菅政権がとった態度は、あからさまな『異論排除』である。こんな政権のもとでイノベーションが起きるわけがない。そうなれば日本社会の発展もありえない。ふだん仲がよいとは決していえない学者同士が、これだけ結束したのは、それだけこの問題に対する危機感が深いからである。・・・この戦端を開いたことを、政権は後悔することになるだろう」。
「(『貞観政要』を愛読する)菅首相であってみれば、政府の方針にはっきりと批判的な意見表明をしてくれた6人の会員候補者には、感謝こそすれ、拒否することは決してないはずだ。日本学術会議が批判精神を発揮して、社会に、あるいは政府にモノを言ったり、警告を発したりすることは、これまた、たとえそれがどんなに耳障りで、面倒なものであっても、歓迎こそすれ、けっして無視はしないはずだと私は思っている。そういう批判勢力こそ、身辺に置いて頻繁に意見を聴取できるようにしておくべきであり、政府組織の外へ出すなど、こんなにもったいないことはないはずである。それが、菅氏が愛読する『貞観政要』の教えるところであろう。愛読していたのは官房長官時代だけ、なんてことでなければいいのだが」。皮肉が利いていますね。
「政府による日本学術会議の新会員任命拒否の『歴史的意味』はきわめて重いものです。佐藤先生はこれを『クーデタ』と名づけていますが、これは日本の民主制を深く傷つけ、国際社会における日本の学術の信頼性と威信を著しく損なう行為です。権力者におもねる人間だけを重用し、少しでも批判的なものは排除することは、短期的には管理コストの削減にはなるでしょうが、長期的には『曲学阿世の徒』の前だけにキャリアパスが開け、日本の学術的発信力は地に墜ちるでしょう。僕は一国民として、日本がそんなふうにして、『世界の笑いもの』になることには耐えられないのです。今回の日本政府の学術会議に対する暴挙は憲法違反であり、日本学術会議法違反であり、学術共同体に対する国際的ルールの違反です。でも、僕が何より許せないのは、この行動を駆動しているのが『権力者はどのような規則違反をしても咎められない』ということを誇示したいという政治家の幼児的欲望だからです。そのようなことのために一国の学術を蔑ろにして恥じない人たちには国を治める資格はない。ただちにその座を去って欲しいと切に願っています」。
論者たちの意見に全面的に賛成です。