榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『貞観政要』を読んだ家康の政権は長持ちし、読まなかった信長、秀吉の政権は短命に終わった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1770)】

【amazon 『上に立つ者の心得(新装版)』 カスタマーレビュー 2020年2月18日】 情熱的読書人間のないしょ話(1770)

ヨシガモの雄、雌の、より鮮明な写真を撮るべく、再挑戦しました。ハクセキレイ、セグロセキレイをカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,743でした。

閑話休題、『上に立つ者の心得――<貞観政要>に学ぶ(新装版』(谷沢永一・渡部昇一著、致知出版社)は、『貞観政要』を巡る谷沢栄一と渡部昇一の対談集です。

本書を読んで強く印象に残ったことが、3つあります。

その第1は、本家の中国で、写本が繰り返されるうちに本文が錯綜してしまい、何が正しいのか分からなくなっていた『貞観政要』を、原本に近い形で再現したのが、日本人学者の原田種成であること。

「●谷沢=我が国に古くから渡来し伝承されてきた『貞観政要』の古写本を遍く探索し、複雑にして困難な書誌学的操作を経て、漸く呉兢による原本にさかのぼって校合した定本を作成し、それを一般向けには明治書院刊行の『新釈漢文大系』における上下2冊本として公開し、全篇にわたる詳しい注釈を銜えた。その緻密な研究過程は『貞観政要の研究』(昭和47年)にまとめられている。原田種成によるこの貴重な研究によって、私どもははじめて正確な『貞観政要』を読むことができるようになった」。

「●渡部=唐の太宗(李世民)が素晴らしかったという根拠は、日本に残った本からしか出なかったということになりますね。●谷沢=そうそう。昔から唐の太宗には天下の名君という評価があったけれども、その理由が原田本の『貞観政要』によって初めて客観性を持って証明されたわけです」。

第2は、『貞観政要』に学んだ北条政子の実家・北条氏や徳川家康の政権が長持ちし、読まなかった織田信長や豊臣秀吉の政権は短命に終わったこと。徳川吉宗も『貞観政要』から学んだ形跡があります。

第3は、『貞観政要』によって、リーダーシップのあるべき姿が具体的に学べること。

「●谷沢=『論語』・『孟子』は名著だけれども、いたって抽象的でしょう。『仁』と言おうが『信』と言おうが、要するにぜんぶ抽象論です。ところがこの貞観政要は、具体的に『何をどうするか』ということについて書かれている。リーダーとはどうあるべきかということが具体的に書かれている。その点では、世界中でこの本が最高じゃないかと僕は思います」。『貞観政要』は、孔子の思想の実践応用篇だというのです。

「●谷沢=『貞観政要』には、唐の太宗とその臣下のやりとりが事細かく書かれています。唐の太宗は、王を諫める役目の諫議大夫という役職を置くわけですね。その諫議大夫あるいは諫臣といわれる重臣たちが、唐の太宗にどんどん上疏文を出すわけです。ようここまで言うたなと思うぐらい、忠告するんですよ。●渡部=その時代に皇帝に諫言をするなんて、普通では考えられません。●谷沢=それはできません。シナの長い歴史の中でも諫議大夫がこれだけ活躍したのは唐の高祖(太宗の父)と太宗の時代だけです」。

「●谷沢=過去から学ぶというのが太宗と諫臣たちのスタイルですけれど、太宗自身は年がら年中、漢の高祖と隋の煬帝のことを考えています、漢の高祖というのは創業のモデルなわけです。300年の漢王朝をつくるのに成功した創業者が高祖ですからね。なぜ漢の高祖は成功したのか。高祖自身は皇帝としては決して有能とは言えません。むしろ無能であると言ってもいいけれど、蕭何とか張良とか韓信といった有能な人間を部下として集めて、彼らを存分に働かせて天下を取ったんです。それが太宗の念頭にずっとあった。だから太宗は何遍も高祖のことを言っていますね。一方、隋の煬帝というのは反面教師ですね。自分はまかり間違っても煬帝のようなことになってはならない、と太宗は考えています」。

「●渡部=魏徴、房玄齢、杜如晦をはじめ、太宗のまわりにはすぐれた諫臣がたくさんいました。それに加えて、文徳皇后というすごく立派な皇后がいるんですね。●谷沢=そうそう、これがまた出来すぎるほど立派な女性なんですね」。

これほど優れた治世者である太宗にして、その最晩年には、房玄齢の遺言を無視して強行した高麗征伐の失敗、そして、皇太子問題の失敗を犯してしまったことは、守成がいかに難しいかを示しています。