榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

徳川家康は、当時の武将としては群を抜いた読書家だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2874)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年2月28日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2874)

クサシギ(写真1~5)、タシギ(写真6~10)、アシ(ヨシ)原にじっと潜むゴイサギの幼鳥(写真11)をカメラに収めました。キタテハ(写真12、13)が盛んに飛び交っています。成虫で越冬するキタテハは、この春本番の陽気で目覚めたのでしょう。カンヒザクラ(ヒカンザクラ。写真14~16)が咲いています。

閑話休題、『家康の本棚――天下人はどんな本をどう読み大成したのか』(大中尚一著、小和田泰経監修、いずみ朔庵作画、日本能率協会マネジメントセンター)の著者は、当時の武将としては群を抜いた読書家だったと高く評価しています。

「(徳川)家康は読書家です。『史記』や『吾妻鏡』などを読み、過去の偉人たちの足跡などもよく知っていました」。「特に彼(家康)が参考にしたのが、劉邦と源頼朝でした。劉邦については『史記』などで学んだ家康ですが、源頼朝については『吾妻鏡』で学んだと思われます。家康はこの『吾妻鏡』を数ある蔵書の中でも特に愛読し、源頼朝の生き方を心に刻んでいます」。「また、統治の面でもこの『吾妻鏡』を大いに参考にした節があります」。「同時に家康は、『吾妻鏡』に書かれた頼朝や鎌倉幕府の事績に追従するだけではなく、反面教師にもしました。その最たるものが将軍の後継問題です」。

「謀略を磨き上げるために学んだと考えられるのが、『六韜』や『韓非子』です」。

「(豊臣家に代わって天下を治めることになった家康は)思想面からも、謀反や反乱が起こらないように設計します。そのために行ったのが、儒学、その中でも特に朱子学(宋学)の導入です」。

「家康が統治のうえで大いに参考にしたのが、中国の政治指南書である『貞観政要』です」。

「関ヶ原の戦いの前年、家康は『六韜』『三略』の出版を行いました。・・・そして関ヶ原の同年には『貞観政要』を、その数年後には『吾妻鏡』や他の武経七書も次々と出版、刊行。大坂の陣のさなかにも、さらなる出版を命じています。(豊臣)秀吉の死後から大坂の陣という、天下統一と幕府の基礎作りの大事な時期にもかかわらず出版事業に乗り出すという、書籍に対する家康の情熱が垣間見えます。家康はまた図書館を作り、蒐集した書籍を納めていました。『駿河文庫』と名付けられたこの私説図書館には、1万冊にも及ぶ書籍が収蔵されていたとされています。また。江戸城にも蔵書を保管する場所があり、それは次の将軍・(徳川)秀忠や家光へと引き継がれ、家光の代に『紅葉山文庫』と呼ばれる書庫として整備されて。代々の将軍に継承されていきました」。

「彼(家康)は失敗から学び、他者から学び、そして先人の智慧から学び、絶えることなくみずからをアップデートし続けました」。