榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

鴨長明について知らなかった、いろいろなこと・・・【山椒読書論(485)】

【amazon 『閑居の人 鴨 長明』 カスタマーレビュー 2014年9月7日】 山椒読書論(485)

都立富士高時代、教育実習で古文を教えてくださった三木先生のストイックでシャイな授業風景を懐かしく思い出す。東大文学部を卒業したばかりの先生は、はらりと落ちる前髪を掻き上げる仕種が女生徒に人気であった。

その三木先生と、『閑居の人 鴨 長明』(三木紀人著、新典社)という書籍の上ではあるが、数十年を隔てて再会を果たすことができた。

この本には、『方丈記』の著者・鴨長明について、いろいろと興味深いことが記されているではないか。1つは、長明の異性体験であり、もう1つは、長明が源実朝と会見していることである。さらに、鎌倉で実朝に会った後、京都に戻ってきて程なく、『方丈記』が書き上げられていることも、本書で知ることができた。

「(長明の)恋人については、なおのこと不明であるが、20代の長明がただならぬ恋をしていたことだけは歴然としている。その資料となるのは、鴨長明集である。この歌集の恋の部には24首の恋歌が並んでいる。・・・一種の臨場感さえ伴って、この歌は20代某年秋の長明を現前させる。・・・以上の連作によれば、長明は迷妄と苦悩のとりこになりつつも、徐々に理性を取りもどして行きそうであるが・・・その結果はもちろんかんばしくなかったのであろう。長明は以後のことを何も書いていない。・・・わかるのは、その人に対する長明のただならぬ思いだけである」。長明の熱情は悲恋に終わったのである。

方丈の庵で遁世の日々を送っていた長明は、57歳の時、鎌倉に下向し、実朝と会談している。「実朝と再三にわたって会ったことが、『吾妻鏡』の(10月)13日の記事に見える。・・・実朝が、出来たばかりの新古今集にいちはやく接して歌境をひらいたことはあまりにも有名である。彼は(藤原)定家の指導をあおいでいたが、対面する機会がなく、直接会った新古今集歌人は(藤原)雅経と長明ぐらいであろう。しかも長明は実朝が生涯敬慕しつづけた後鳥羽院の寵愛を受けた人であるから、長明が実朝から特別視される条件はいくつもあったはずである」。しかし、長明はこの実朝との出会いについては、『方丈記』やその他の著作にも記していない。

実朝との会見の翌年、『方丈記』が成立している。「いかにも、鎌倉旅行と方丈記の成立時との間には5箇月ほどの差しかないことを思うと、二つの事に何らかの因果関係を見たくなるのは自然で、そのような立場の人は少なくないであろう。私もその一人として、さまざまな仮説、臆測の類をして楽しむことがある」。出世の道を閉ざされ、草庵で閑居生活を送った長明は、自己の内部にわだかまる澱のごときものを『方丈記』に吐き出したのである。