日常というエイリアンに飲み込まれないために・・・【山椒読書論(505)】
『私、人間です。――社員に贈る最後の結び文』(吉野眞弘著、メディア総合研究所)は、著者の「偶然に生を受け、錯覚の中で生を送り、必然の死を迎えなければならない人間にとって、生きるとはどういう意味を持つのだろうか」という思いに貫かれている。
「私たちは如何なる人生を歩もうとも最後に『幕は下りる』。つまり、誰も『死』を避けられない。問題はそこだろう。即ち私たちは不可避的に内在する『死』という出来事をどう捉えるのか? 私はその根源的思想にこそ、その人の人生のすべてが内包されていると思う。明日のために、今日という日を一生懸命生きなければ、恐らくより人間的な『死』を迎えることは出来ない。ましてや、再び幕の上がることはないだろう。Today is the first day of the rest of your life. All the flowers of all the tomorrows are in the seeds of today. まさに然りと感じるのは私だけではないだろう」。
「他人や社会に認められたい。長生きをしたい。少しでも多くのお金が欲しい。いつまでも美しくありたい・・・人間の欲には際限がない。それを醜いとは思わぬ。その欲望が人間を人間たらしめている。しかし人生にはこの世界が突然輝く瞬間というものがある。ああこのために生きていたんだという至福の時がある。・・・それは、困難を乗り越えて何事かをやり遂げた時だ。至福の時はこの瞬間齎される。この至福の時はお金で買える物ではない。こころのあり方のすべてだ。だから相手の人の小さな、しかし限りなく大きな達成を認めようとしない人は、人間の崇高な至福の瞬間が理解出来ない。次世代のリーダーは、至福の時が分かる人間であって欲しい」。
「そんなことして何になる、実に馬鹿馬鹿しい! そう考えるあなたは、私は涙が流れるくらい悲しい。自分というペルソナ(仮面)を捨て去る勇気をあなたに!」。
「夢でも、異性でもいい。あなたは真剣に惚れたか? 命を賭けて惚れ抜いたか? すべての物語はそこから始まる」。
「会社の目標が明確な組織は、全員の士気が最も高い。しかし、企業は往々にしてその目標を欠く。理解しているようで理解していないのがこの単純な『目標』である。ややもすると一日はあっという間に過ぎる。色々な雑務をこなしていると、自分の目的が見えなくなってくる。PCでメールを見る。返信を出す。コーヒーを入れる。溜まっている経費の精算をする。あなたに二、三の電話がかかってくる。また、PCを見る。そしてスケジュールのセットをする。あっ、そうだ、会議だ。そうすると、だんだん自分の正体が見えなくなってくる。そしてあっという間に一日が終了する・・・。 日常というエイリアンが見事にあなたを飲み込む。だから一人ひとりが強烈な目標を身体に刻み込んでおかないと、企業という集団は実に簡単にもぬけの殻になる。再度、私たちの目標は何か?」。
「経営の後継者として一番大切なことは何ですか、とよく聞かれる。私は、一人の人間として、また20年間経営をやってきたものとして、いつも次の3つの資質を挙げている。(1)歴史・哲学・宗教観を大局的に備えた人物、(2)信念に基づく勇気ある行動が出来る人物、(3)みんなのシアワセのために命を賭ける愚者」。
この本から何を学ぶかは、あなた次第だ。