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関羽の死、曹操の死、曹丕の魏帝即位、劉備の蜀帝即位、張飛の死、陸遜の抜擢・・・【山椒読書論(591)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年9月5日号】 山椒読書論(591)

横山光輝のコミックス『三国志』(横山光輝著、潮出版社、希望コミックス・カジュアルワイド、全25巻)は、羅貫中の小説『三国志演義』→吉川英治の小説『三国志』の流れを汲んでいる。

第18巻 蜀皇帝劉備」は、まさに、「死」と「世代交代」の巻と言えるだろう。

呉の呂蒙の計略にはまり、生け捕りにされた関羽は、孫権の配下にとの誘いを断り、斬首されてしまう。「関羽、この時、58歳であった」。

「関羽の死を人々は深く惜しみ、いろんな噂を創り出した。・・・呂蒙が関羽の霊に呪い殺されたとか・・・たしかに呂蒙は関羽が死んでから2カ月後に血を吐き、病に倒れて死んだ。人々はそれを関羽の呪いで死んだと噂し合ったのである」。

「曹操の容態は悪化した。夜ごと幻想を見、苦しみ出した」。「故人となってみて、より曹操の偉大さがわかった。短所も多かったが、長所がそれに勝った。この乱世の大陸の3分の2を平定することは凡人にできることではない。そういう意味では、曹操は百年に一人、いや千年に一人出るかどうかの風雲児であった」。

「(曹操の長男)曹丕は義王の位に即き百官の拝賀を受け、同時に天下にその由を発表した。建安25年春正月のことであった」。

「劉備玄徳は曹操の死を聞き、寿命というものを強く感じた。そして寿命のあるうちに関羽の仇を討ち、魏を滅ぼし朝廷の権威を取り戻そうと考えた」。

曹丕は漢の献帝に譲位を迫り、自らが帝位に就く。魏帝である。「献帝は、その日のうちに、一頭のろばとわずかな旧臣をともなって田舎へと落ちていかれた」。「関羽の死、(自らの手で処刑せざるを得なかった、劉備の養子の)劉封の死、そして今、漢朝が滅んだことは玄徳に衝撃を与えた」。

建安26年4月、劉備は蜀皇帝を天下に宣する。「今ここに、大魏には大魏皇帝が立ち、大蜀には大蜀皇帝が立ったのである」。

「蜀の章武元年7月、玄徳は75万の大軍を率いて成都を出発した」。関羽の仇を討つため、呉進攻に立ち上がったのである。劉備に合流すべく向かっていた張飛が、厳しく扱った家来に暗殺されてしまう。

劉備のもとに、張飛の嫡子・張苞、関羽の次男・関興が馳せ参じ、目覚ましい働きを見せる。

「この戦で呉軍は蜀軍に容赦なくたたかれた。兵士の死体は荒野を埋め、血は河となった」。

苦戦を強いられている呉では、若き陸遜が孫権に抜擢されて、総司令官となる。「呉軍が荊州を襲って関羽を倒したのも、呂蒙の奇略というよりは、陸遜の智恵と言われております」。