蜀の孔明と魏の仲達との、正面きっての知恵くらべが始まった・・・【山椒読書論(604)】
横山光輝のコミックス『三国志』(横山光輝著、潮出版社、希望コミックス・カジュアルワイド、全25巻)は、羅貫中の小説『三国志演義』→吉川英治の小説『三国志』の流れを汲んでいる。
「第23巻 蜀魏関ヶ原」――。魏の仲達は、曹叡にこう説明する。「いま孔明が望むは兵糧のある間に勝利をつかむ短期戦・・・それならば我らは蜀軍の兵糧の尽きる長期戦を狙いまする。どんな挑発にも乗らず、ただただ守りを固めていれば、雪どけの頃には蜀軍は兵糧も尽き、いやでも総退却をせざるをえません。この時が勝負どころでございます。大軍をもって追撃いたしますれば、大勝間違いございませぬ」。
「蜀と義の戦いが長びき、両国の力が消耗していったのをひそかに喜んでいたのは呉であった。その間に呉は着々と自国の力を蓄え、国力は日をおって強大なものとなっていった。黄武8(西暦229)年、孫権は年号を黄龍元年に改め、魏や蜀にならって皇帝を名乗ったのである」。
「司馬懿(仲達)、孔明と互角に戦えるはそなたをおいてあるまい。そなたを大都督に封じ、全軍総司令の総兵の印を授ける。見事、孔明を打ち破れ」。
「今度は堂々と正面からの知恵くらべじゃ。わし(仲達)が勝つか、孔明が勝つか・・・」。「孔明と仲達は、ここに初めて正面きって対峙した」。「今ここに、魏の名将・司馬懿仲達と諸葛亮孔明の知恵くらべが始まった。建興7年4月、祁山夏の陣である」。
「負けた。またしてもわし(仲達)の考えの先を越された。孔明の用兵、まさに神通ものだ」。
「ここに決戦の火ぶたはきられた」。
「これで、いよいよ孔明と決戦じゃ」。
「この会戦で仲達は7割近い兵を失うという大打撃をこうむった。仲達は陣を守るだけで手一杯となり、いまや蜀軍の前に風前の灯であった」。そこで、仲達は、劉禅と孔明の離間策を企む。「ふふふ、劉禅は愚か者と聞く。うまく乗ってくれて孔明を失脚させてくれれば、蜀などひともみに潰せる」。