榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

人間にとって幸せとは何か・・・【山椒読書論(622)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年12月5日号】 山椒読書論(622)


  

コミックス『人間交差点(16)―― 一年』(矢島正雄作、弘兼憲史画、小学館)に収められている「今頃」は、人間にとって幸せとは何かと問いかけてくる。

東京の隅田川を往復する、川めぐり・橋めぐりの水上バスの運転手・並木の相棒は、不動産屋から自宅を買い取りたいと言われ迷っていたが、遂に6千万円で売ってしまう。「いやね、浦安に住んでいる息子夫婦がさ・・・コンビニエンスストアっていうの、あれやってるんだけどさ、俺とかかあに一緒に住まないかって言って来てくれたんだ。もう働かなくっていいからってさ・・・。ま、6千万はそっくり息子夫婦にあずけちゃったけど」。「そりゃ、よかったじゃないか」。「相棒は、それから1か月後に浦安へ越して行った・・・」。

昼食時になるといつも、勝どき橋の上から並木が運転室で弁当を食べるのを眺め下ろしている男に気づく。その男は一流商社の人事部に勤めているが、単身の海外駐在から帰国後、離婚してしまったという。「今頃、はじめてわかってきたんです。あなたがうまそうに弁当を食べている姿をここから見ていてね。人間ていうのは、ムリをしないで生きていける空間を見つけるのが一番幸せなんだって・・・そういうことがわかってきたんです」。「お陽様と川の流れは変わらない、それで十分ですよ」。「並木さん・・・私、もう一度、妻のところへ行ってみます。もしうまく復縁出来たら。もう・・・ここには来ません」。

居酒屋での相棒の言葉。「何て言うのかな・・・楽させてもらってんだけどさ・・・妙に墜ちつかなくてよ・・・息子の家。空気があわねえって言うのかな、はりあいがないって言うのかな」。

「今頃になると、必ず勝どき橋の上に立っていたあの男の姿は、その後、見えなくなった。だから、その代わりというわけでもないが・・・毎日、私の船に乗る乗客が一人・・・」。それは、船内でうまそうに弁当を食べる相棒である。