榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

40歳の男が、熱愛した亡き妻に瓜二つの若い女に出会ったが・・・ ・・・【山椒読書論(699)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年3月30日号】 山椒読書論(699)

以前、オランダに出張した時、憧れていたベルギーのブリュージュまで足を延ばしたことがある。そのブリュージュが舞台になっていると知り、『死都ブリュージュ』(ジョルジュ・ローデンバック著、窪田般彌訳、岩波文庫)を手にした。

40歳のユーグ・ヴィアーヌは、熱愛した妻の死後、憂愁に沈む都ブリュージュで妻を偲ぶ生活を、もう5年も送っている。そんな、ある日、妻と瓜二つの若い女性に出会い、ジャーヌ・スコットという名の舞台に出演している踊り子だと知る。

「いま、より近く、間近に彼女を見つめてみても、昔の妻とこの新しい女とのあいだには、いかなる差異も認められない。これにはユーグも唖然としたが、さらにこの女が、白粉や紅をつけ、燃えたつフットライトの光を浴びていても、手つかずの果肉のような自然そのものの色つやを保っていることにびっくりした。ものごしにおいても、踊り子特有の軽々しいところなどは一つもなかった。つまり、化粧は控え目で、気だてはつつましく、やさしかった」。

ユーグはジャーヌのために家を借りてやり、そこに頻繁に通うようになる。「男やもめと踊り子との関係が世間に知れわたると、彼はいつしか町のもの笑いとなった。誰一人この噂を知らぬ者はなかった。戸口から戸口へと伝わるおしゃべり、暇な連中の雑談のたね、言いふらされ、好奇心の強いベギーヌ会修道女たちに喜ばれた蔭口。悪口の雑草は、この死の都においてはあらゆる舗石のあいだから生い茂る」。

やがて、ユーグは幻滅を感じ始める。「類似ということがなければ、彼の眼にジャーヌは下卑た女としか映らなかった。よく似ていればこそ、彼女はほんの一瞬、亡き妻との――といっても、同じ顔をし、同じ服をつけているもののなんとなく下品な妻との再会という、あの残忍な印象を彼に与えたのだ」。「ジャーヌのほうもまた、彼の陰鬱さと、その長い沈黙にあきあきしていた」。

ジャーヌが男たちと関係を持ち、贅沢三昧の買い物の請求書を回してきても、ユーグはジャーヌと別れることができない。

そして、遂に悲劇が・・・。

誤解があってはいけないので、ブリュージュは、決して死都などではなく、運河、教会、修道院、石畳が印象的な、中世の雰囲気が漂う魅力的溢れる所であることを、申し添えておく。