榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

源義経の母・常盤の印象深い物語・・・【山椒読書論(722)】

絵本『武士が活躍しはじめた、その頃のお話。――二松學舎大学の絵本』(磯水絵・小井土守敏・小山聡子著、創英社)には、『保元物語』から「鎮西八郎物語」、『平治物語』から「悪源太義平物語」、「ときわ御前物語」が収録されている。とりわけ印象深いのは、源義経の母・常盤の物語である。

「これも武士が活躍しはじめたころのこと。京の都を舞台に大きないくさが起こりました。源義朝と平清盛が、武士の頂点をめぐって争ったのです。このいくさは、平治の合戦と呼ばれています。激しい戦いの末、いくさは、平清盛方の勝利に終わりました。いくさに負けた源義朝は都を逃れ、尾張の国へ逃げましたが、家来に裏切られて、お風呂に入っているところを斬られてしまいました。昔は、いくさに負けると、負けた側の大将軍はもちろん、その子どもたちまで、みな、謀反人として殺される運命でした」。

「さて、義朝には、この頼朝のほかに、母親の違う三人の子どもがおりました。その母親の名はときわ御前といい、とても美しい女の人でした。三人の子は、上の兄が七歳の今若、中の兄が五歳の乙若、そして末の子が、今年産まれたばかりで牛若といいました。・・・清盛のいる京の都にいてはあぶないと、ときわ御前は、牛若をふところに、兄の今若を先に歩かせ、乙若の手を引いて、大和のほうに知り合いを頼って逃げていきました。・・・そうしてしばらく隠れていましたが、ある日、都で平清盛がときわ御前のお母さまを捕まえたという知らせが届きました。お母さまを殺されたくなかったら、都に出てこいというのです。ときわ御前は、お母さまの命を助けるために、清盛のもとへ出て行くことを決めました」。

「ときわ御前と対面した清盛は、その美しさに目を奪われました。それもそのはず、ときわ御前は、九条院のお姫さまがお后様になられる時に、姫にお仕えするのにふさわしい都中の美人千人の候補の中から百人、またその百人の中から十人と選び出された、美人の中でも第一番でありました。ですから、それはそれは美しいかただったのです。清盛は、一目でときわ御前のことが好きになってしまいました。そしてこう言いました。『わしのそば近くに仕えるならば、三人の子どもの命は助けてやろう』。ときわ御前は、十六歳の時から義朝さまと縁を結んで七年間を過ごしてきましたから、とても清盛などに仕える気にはなれませんでした。それでも、ときわ御前のお母さまと三人の子どものために、泣く泣く、清盛の言うことを承知したのでした」。

「こうして命を助けられた三人の子どものうち、末の子の牛若は、後に成長して源義経と名乗るのでした。このときからおよそ二十年後、勇ましい若武者に成長した源義経は、平家討伐に大活躍するのです。それもこれも皆、ときわ御前が熱心にお願いをしていた、清水寺の観音さまのお蔭だと、人々は言い伝えているそうです」。

私が歴史好きになったのは、幼い時に手にした『牛若丸』(近藤紫雲画、千葉幹夫文・構成、新・講談社の絵本)がきっかけだったので、感慨深いものがある。