京の旧家の庭の写真集に癒やされる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(30)】
我が庭の野鳥の餌台が傷んでしまったので、新しいものを手作りしました。早速、シジュウカラが南京豆を、メジロ(女房は「メジちゃん」と呼んでいます)が蜜柑を満足気に啄んでいます。
閑話休題、私は京都が好きです。京都の庭が好きです。自分にとって重要な課題が一区切りついたときは、庭の写真集を開きたくなります。『庭師とあるく京の隠れ庭』(小埜雅章著、平凡社・コロナ・ブックス)は、期待を裏切らぬ本でした。
「京都の名庭といえば、すぐ思い出されるのが、金閣寺や龍安寺など寺院の庭である。しかし、京都の居宅の庭も、とりわけ何代も続く旧家には、それに劣らぬ庭が存在する。規模の上ではもちろん小さいけれども、その格調の高さ、醸し出される品位ある世界は、寺院の庭と較べても遜色がない。居宅は生活の空間だけに、四季の花の移ろいや、紅葉の配植、草木の香り、風のそよぎ等々、作庭上多くの要素が考慮されなくてはならず、作庭の方程式は、むしろ寺院以上に複雑である。にもかかわらず、煩雑な庭になることもなく、凛とした芸術性を感じさせるのは、並大抵の作品ではない。居宅の庭は間近での鑑賞となるだけに、ちょっとの弛みも許されない」。
旧家や老舗の庭では、「空間の据え方が第一義となる。庭全体に占める石の存在感、石と石との不即不離の関係、石と植木との間の取り方、植木と植木との抜けた空間等々、空白がいかに生きているかに注目すべきである。庭の鑑賞はつまるところ『根源的なところから発する空間の感得』ということに尽きる」。さすが、庭師の庭に対する思いは奥が深いですね。
16の庭が紹介されていますが、いずれも、言うに言われぬ味わいがあり、「京の真髄は庭にあり」という著者の情念がひしひしと伝わってきます。
巻末の「庭の用語集――石造品と茶庭」も勉強になります。