榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

森鴎外は、よき家庭人でもあった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(47)】

【amazon 『晩年の父』 カスタマーレビュー 2015年3月25日】 情熱的読書人間のないしょ話(47)

昨年9月末の企業人卒業以降、目標としている「読む」「書く」「歩く」はほぼ予定どおりですが、「深める(太極拳)」だけは進行が思わしくありません。しかし、諦めずに、深まる日を夢見て通い続けています。練習場までは歩いて片道30分(4,400歩)の道のりですが、途中の200mほど連なる並木のハクモクレンの花が太陽に照り映えています。因みに、本日の歩数は12,631でした。

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閑話休題、仕事ができて、出世してはいるが、家族とうまくいっていない、家庭が崩壊しているという男性には、どうしても好意を持てません。この意味で、文学者として、軍医として活躍した森鴎外は、よき家庭人でもありました。鴎外の次女・杏奴(あんぬ)が、父の死の直前の1年間(著者は14歳)の思い出を綴った『晩年の父』(小堀杏奴著、岩波文庫)からも、その様子が伝わってきます。

「父は何時も静かであった。葉巻をふかしながら本を読んでばかりいる。子供の時、私はときどき元気な若い父を望んだ。自分の細かいどんな感情をも無言の中に理解していてくれる父を無条件で好きではあったが、父はいつでも静かだったし、一緒に泳ぐとか走るとかいう事は全然なかった。何んでも父と一緒にやりたかった私には、それがひどくつまらない気がした」。

「母はいやに真面目な女である。子供にとっての母は一向に魅力のない詰まらない存在でしかなかった。母は冗談を嫌ったし、軽薄さの持つほんの片はしをも憎むような激しい気性を持っていた。そのくせ彼女は父の持つ何か底の解らないあいまいな魅力のようなものをとても愛していたようだ。・・・愛情のような雰囲気、それは父が一人で作って、一人で(自分でも知らないで)あたりの妻や子供や家、本、空気にまで振り撒いていただけだ。父はまた落着いて物を片付ける事が好きだった。埃が積った本を引出して、羽みたいなもので丹念に払っている時など、如何にも楽しそうにしていた」。

「父は大きい、灰色がかった外套を著(き)て、ゆっくりゆっくり歩いた。不意に立ちどまると、父はかくしから白い象牙の、いつも洋書の頁を切る時使う紙きりを出して土を掘りはじめた。乾いた土がぼろぼろと散った中に、小さい菫の葉が出ていたのだ。父の大きく震える白い手が、根ごと菫を採るのを私は見ていた。もうじき春が来る――私はなんとなくそう思った。『家へ帰って、庭へ植えよう』。父は楽しい事を打明けるような小さい声でいった」。

「死ぬ頃の父の書斎は玄関から近い六畳だった。部屋は昼間でも暗く、夏になって庭の樹木の葉が生い茂ると人の顔に青く反射して見え、冷い空気が感じられた。書物のいっぱい詰まったガラス戸棚を背にして、畳の上にも積み重ねた本の間に机を置いて、父は埋まるように坐っていた。反対側の壁も、天井に届くまで本の詰まった棚の層であった」。

鴎外は、私の最も好きな作家の一人なのです。