哲学の重要問題を各時代の哲学者たちは、どう考えてきたのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(121)】
東京・上野の東京国立博物館で黒田清輝の「読書」に出会った時の感激は忘れられません。黒田がフランス滞在中に、小村の豚肉屋の娘をモデルとして描いた作品ですが、読書する女性が魅力的に表現されています。モデルを務めたマリア・ビヨーは19歳で背が非常に高かったそうですが、彼女に対する黒田の思いが伝わってきます。
閑話休題、『哲学の森――ものの考え方の基礎』(S・E・フロスト・ジュニア著、岩垣守彦訳、玉川大学出版部)は、哲学を学びたい向きには便利な本です。「宇宙とはなにか」、「宇宙における人間の位置」、「善とはなんで悪とはなにか」、「神とはなにか」、「運命と自由意志」、「魂と不死」、「人間と国家」、「人間と教育」、「精神と物質」、「イデアと思考」といった哲学の重要問題のそれぞれについて、古代から現代に至る西洋の哲学者たちがどう考えたのかが、簡潔に示されているからです。
例えば、「人間と国家」について、「マキャヴェリの国家観」はこう説明されています。「彼の野心は教会から完全に独立した統一されたイタリア国家を樹立することでした。・・・その当時の一般的状況は腐敗堕落しておりましたから、このような国家を創ることのできるのは強力な絶対君主しかいないと主張したのです。・・・彼の目的を達成するためには、必要ないかなる手段、暴力、策略、法を犯すことすらも行なうことのできる権利をもつ支配者が必要でした。そのような人物は謀略には謀略を、策略には策略を用いて戦わなければならないのです」。
「ルソーの見解」は、「彼はすべての人間を信じて戦ったのです。実際、彼は代表制による政治を排除して、代わりに、すべての人民による直接民主政による政府を創ろうしたのです。・・・すべての人は自由、平等であるから特権階級に収奪されたり支配されたりしてはならないのです。この自由を獲得するために、ルソーは近代社会のすべての付属物をとり去り、自然に帰ることを主張したのです。・・・主権はつねに人民にあり、人民からそれを取り上げることはできない、とルソーは論断しています。政府は単に人民の意志を実行するにすぎず、人民はいつでも政府を解散して、別の政府を創る権利をもっているのです」と、記されています。
「ニーチェの国家観」はどのようなものでしょうか。「フリードリヒ・ニーチェは平等とかその他民主主義を意味するものには見向きもしませんでした。権力への意志が彼の支配的理念でした。・・・もっとも強いものが勝利し、またかつ権利をもつのです。もし弱くて生存することができないなら、それは善いことなのです。弱者は強者に道をあけるために亡ぼされるべきなのです。彼は人によって差異のあることを認めており、その差異は拡大されるべきだと信じていました。強者が支配すべきであり、弱者は支配されるべきなのです。・・・このように歴代の哲学者たちが、すべての人は平等であり、社会の財産は全員で公平にわかち合う権利をもっているという不変のテーマにのっとって主張してきたことを、ニーチェは拒絶したのです」。
こう見てくると、現代の「人間と国家」を考えるとき、現在の政治のあり方を判断しようとするとき、哲学という学問が有効であることが分かります。