榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

乙女とは、信じられないと驚いて誰よりもそれを深く信じる生き物だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2674)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年8月12日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2674)

アブラゼミの抜け殻(写真1)、ツクツクボウシの抜け殻(写真2~7)、アカボシゴマダラ(写真8)、コガネグモ(写真9、10)をカメラに収めました。

閑話休題、『乙女の密告』(赤染晶子著、新潮文庫)が魅力的な小説に仕上がっているのは、3つの要素が有機的に融合しているからです。

第1の要素は、著者自身が熟知している外国語大学が、最初のページから最終ページまで舞台となっていること。

第2の要素は、乙女たちが醸し出す独特な雰囲気が、どのページからも農耕に漂ってくること。

第3の要素は、『ヘト アハテルハイス(=後ろの家、隠れ家)』、すなわち『アンネの日記』のアンネ・フランクが陰の主人公となっていること。

「『乙女の皆さーん!』。突然、バッハマン教授が(他の教授の授業中に)乱入してきた。バッハマン教授はドイツ語のスピーチのゼミを担当している。・・・とうとう、日本人の教授が怒る。バッハマン教授は気にも留めない。黒板に『一九四四年四月九日、日曜日の夜』と本(教材の『ヘト アハテルハイス』)のページを書いた。やりたい放題だ。一月にはスピーチコンテストがある。スピーチコンテストは暗誦の部と弁論の部に分かれている。みか子たち二年生は暗誦の部に出場する。バッハマン教授はこれを明日のゼミまでに暗記するように言った。乙女達は絶句した。あまりに急すぎる」。

「(上級生でリーダーの)麗子様にバッハマン教授との黒い噂が流れた。乙女らしからぬことをして、スピーチの原稿を作ってもらっているのではないか。ちょうど、弁論の部に出場する上級生たちが原稿の作成に最も苦労している時だった。・・・噂は少しずつ広まった。乙女達はスピーチの練習よりも熱心に噂を囁きあったのだ。乙女とはとにかく喋る生き物だ。『えー、信じられへんわー。不潔やわぁ』。これが乙女の決まり文句だった。乙女とは、信じられないと驚いて誰よりもそれを深く信じる生き物だ。この信心深さこそが乙女なのだ。乙女達はひそひそと囁き合って、信仰を深めていく」。

「常々、バッハマン教授は『ヘト アハテルハイス』の中で一番大事なのはアンネの名前だと言っている。『アンネ・フランク』という名前をどの単語よりも丁寧に発音練習させている。『ミカコ。アンネがわたしたちに残した言葉があります。『アンネ・フランク』。アンネの名前です。『ヘト アハテルハイス』の中で何度も何度も書かれた名前です。ホロコーストが奪ったのは人の命や財産だけではありません。名前です。一人一人の名前が奪われてしまいました。人々はもう『わたし』でいることが許されませんでした。代わりに、人々に付けられたのは『他者』というたったひとつの名前です。異質な存在は『他者』という名前のもとで、世界から疎外されたのです。ユダヤ人であれ、ジプシーであれ、敵であれ、政治犯であれ、同性愛者であれ、他の理由であれ、迫害された人達の名前はただひとつ『他者』でした。『ヘト アハテルハイス』は時を超えてアンネに名前を取り戻しました。アンネだけではありません。『ヘト アハテルハイス』はあの名も無き人たち全てに名前があったことを後世の人たちに思い知らせました。あの人たちは『他者』ではありません。かけがえのない『わたし』だったのです。これが『ヘト アハテルハイス』の最大の功績です。ミカコは絶対にアンネの名前を忘れません。わたし達は誰もアンネの名前を忘れません』」。

迂闊にも、私は本書で赤染晶子という作家を初めて知ったのだが、2017年に42歳という若さで亡くなっているのは、返す返すも残念です。