榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

80代を迎えた森村誠一の、60代、70代の後輩たちへのアドヴァイス・・・【情熱的読書人間のないしょ話(239)】

【amazon 『老いの希望論』 カスタマーレビュー 2015年11月28日】 情熱的読書人間のないしょ話(239)

群馬県藤岡市の桜山公園では、小さな白い花を付けたフユザクラが満開でした。紅葉したイロハモミジとのコラボレーションも楽しめました。因みに、本日の歩数は11,173でした。

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閑話休題、『老いの希望論』(森村誠一著、徳間文庫カレッジ)は、80代を迎えた森村誠一の、60代、70代の後輩たちへのアドヴァイス集です。 

「老いるのは当然と考え、老いたからもう何もできないと諦めるのでは、生きている意味がない。(人生の)第三期こそが自分のために生きることができる時代なのだ。・・・親しい人との永遠の別れを幾度となく経験し、ひとり取り残されるつらさ・寂しさを噛みしめねばならない。身体はかつてのようには思いどおりに動かず、高齢だからこそ病気との闘いも増えるであろう。死が一歩一歩近づいてくる不安も増大していく。・・・身体的に老いてきていても、全面的に老いてしまったのではない。『老い』を恐れず、残された日々を見据え、自然体で、しかしネバー・ギブアップの精神で生きていくこと。生きる意欲を持って日々を楽しむこと。それが、第三期の人生を充実させる」。

「人生には3つの大きな出会いがある。人との出会い、文化との出会い、場所との出会いの3つである。職業との出会いは、この3つの中に含まれている。高齢になると、この3つとの出会いが少なくなってくる。現役時代のように、黙っていても仕事の関係で何か新しい人やものに出会う機会がないのだから、当然といえる。しかし、自分だけの世界しか存在しなくなると、視野も意識も行動範囲も狭くなる。それが高じれば、社会性がなく周囲をまったく気にかけない迷惑老人・お荷物老人になってしまう。人と出会い、文化と出会い、場所と出会うためには、積極的に外に出向いていかなければならない。そして、つねに外に向いた緊張感があれば、社会性も保てる」。

「自分が死ぬときのこと、自分がもうこの世からいなくなった後のことを考えるのは、けっして楽しいものではなく気が重い。しかも、多少の遺産、葬式、遺言など、面倒なことが多く後回しになりがちである。しかし、終活は自分一人のためにするのではない。配偶者や遺族や友人たちと幽明境を異にした後も、人間関係が終わったわけではない。彼らのためにできることをしておくのが終活なのである。『としごろ』に達したら、まずは、身辺整理から始めるとよい。個人差はあるが、『としごろ』とは70代後半あたりであろう」。