榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

SM小説で知られる団鬼六の自伝エッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2842)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年1月27日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2842)

我が家の庭の餌台「空中楽園」に餌を置いた途端、ヒヨドリが持ち去ってしまうという事件が相次ぎました。撮影助手(女房)が、これではメジロたちが採餌できない、ハッサクが入っていたネットを被せたらどうかしら、と提案。これが見事、功を奏しました(写真1~8、10)。餌台「カラの斜塔」もシジュウカラ、スズメたちで賑わっています(写真8~11)。ツグミ(写真12、13)、オオバン(写真14、15)をカメラに収めました。

閑話休題、『死んでたまるか――団鬼六自伝エッセイ』(団鬼六著、ちくま文庫)は、『花と蛇』などのSM小説で知られる団鬼六の自伝エッセイ集です。

75歳――。「私の精神年齢というのは四十歳、いや、もっと下の三十歳、いや、まだ精神年齢が二十代から抜け切れていないのではないかと思うことすらあります。というのは考え方がその頃と全く変わっていないということ、要するに思考力が幼稚なのかも知れません。気持ちが若いということは自慢できないことはないのですが、自分の方は年齢のことなど一向にかまわないつもりでも年齢の方が私をかまい出して困ります」。私もかなりの高齢者だが、気分は27歳のままです(笑)。

「それに最近、頻繁に中学、高校、大学時代の同窓会が開かれるようになり、あれは年をとってくると昔の仲間の元気な顔が見られるという一種の老人病になった幹事の音頭によるものですが、どうもあの同窓会というのは好きになれないのです。かつては溌剌としていた友人たちの老醜無残に成り果てた顔を見たくはないのです。自分の方だって相当老醜化しているのですが、それは考えたくない。私の大学の同期に俳優の高島忠夫がいるのですが、同窓会に行って老け込んだ仲間の顔を見ると、『俺もああなっているのかと思ってぞっとする』といってました。しかし、かつて美男スターであった彼にも相当老醜の翳りが忍び寄っています。私の身体はガタがきているのは確かなんですが、気持ちだけはどういうわけか年をとれないんです。それは私が若い頃から楽天家で快楽中心主義の人間だった故かも知れません。快楽主義で世を過ごして来た人間は気持ちだけは老け込まないのです」。

78歳――。「私は慢性腎不全患者であって、人工透析を行っているから、特定疾病療養制度の適用を受けて、身体障害者一級の資格を頂戴する事になったのだ。この障害者資格を取るまでに私は精神的にも肉体的にも苦しみ抜いたのである」。

「透析を始めて三年が経ち、すっかり健康を取り戻すと、あれ程、死にたがっていたのが嘘のようにかき消えて、命の大切さを思い知るようになって来た。週三日は病院に通って、血液の入れ替えを計るわけだから、透析のある日は心身ともにぐったり疲れて一日中、為す術がないが、次の一日は健康を取り戻して元気になる。つまり、普通の人間の半分しか生きられないのだが、その半分の人生を大切に保存しようという考えになった。・・・これも人生だと諦めの心境に達した時、次に病院の健診によって私の身体にガンが発見された。腎不全となって死ぬ覚悟を決めたのは七十五歳の時、仲間や医師たちの説得によって、止むを得ず透析を導入し、三年間、無事生き永らえた人間に、やっぱりお前は死んだ方がいいと今度はガンという鉄槌を下してくる天は何という残酷な真似をしてくるのかと腹が立って来た。四年前ならともかく、生命の大切さを痛感するようになった今、そう簡単に死んでたまるか、という気持ちだった」。高齢になると、経年疲労のため体のあちこちの部品が痛んでくるのは已むを得ないことだと、私は考えています。そして、突然ある日、思いがけない病名を宣告されるものだと覚悟を決めています。

「今まで遊び呆けていた事を反省し、これから人生を勉強し直して、新たな執筆に専念しようと思う時、腎不全とか、ガン細胞とか、死の恐怖に襲われるなど、人生の皮肉を感じるのである。死というものはこれから新たに生きようとする人間の意志を無視して落ちかかってくるものだという事を今更、感じるのだが、そう簡単に死ぬものか、と最近の私は開き直りを見せている。その齢で、と笑われそうだが、まだ、やらねばならぬ事、書かねばならぬ事がこの世にたっぷり残されていると思うからだ」。

因みに、団は食道癌のため、2011年に80歳で永眠しました。