榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

宮本輝の魅力が身近に感じられる対談集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(279)】

【amazon 『人生の道しるべ』 カスタマーレビュー 2016年1月19日】 情熱的読書人間のないしょ話(279)

ブログ「榎戸誠の情熱的読書のすすめ」とfacebookに自分で撮った写真を初めて掲載したのは、2015年1月20日のことでした。丁度1年が経過したわけですが、写真の難しさ、奥深さ――これぞというシャッター・チャンスは一瞬しかないこと、シャッター・チャンスをものにするためには根気と忍耐が必要なこと、同じ被写体でも撮影条件によって全く異なる映像になってしまうことなど――を、日々痛感させられています。

雪で靴が水浸しになりましたが、千葉の利根運河雪景色をカメラに収めることができました。我が家近くの林の入り口も雪で真っ白です。我が家の小さな多胡灯籠も雪を被っています。

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閑話休題、『人生の道しるべ』(宮本輝・吉本ばなな著、集英社)は、私の好きな作家・宮本輝と吉本ばななの対談集です。

宮本の言葉には、何とも言えない味わいがあります。「いまの話できゅうに思い出したんだけど、昔、どちらも高校卒で働きながら貧しく暮らす兄妹の友達がいたんですよ。桃の節句の時分に、たまたま彼らのおうちに遊びに行ったとき、時代もののちっちゃい、美しいひな人形が飾ってあった。由来を聞いたら、おばあちゃんにもらったものだと。するとぼくにはこの兄妹の、グラデーションがかった縁取りが浮かんでくるんです。ああ、貧しくても桃の節句になると人形を出して飾るような二人なんだなあと。会ったこともない彼らのおばあちゃんの顔まで浮かんでくる。些細なところから人間の全体がわかりますよね」。

二人の間では、死がしばしば話題に上ります。「宮本=死はたんに不幸なだけじゃないんだね。吉本=ええ。本来は自然なことなんですね。宮本=死というのは、これ以上言葉にできないと思える極限体験のひとつだけど、小説はそれを言語化して表現しなければならない過酷な仕事だと思います。なかなか言葉にできないものだからこと、小説にしなければならないと言ったほうがいいかな」。「宮本=人は、経験のないことに対しては、とんでもない不安を持つものです。人にとってその最大の出来事とは、死であろう。でも一方で、死など、当たり前のありふれた事柄でもありますよね。昆虫たちも、魚たちも、動物たちも、みんなそれを受け入れて堂々と死んでいっているじゃないかと。人間はなんでこんなにびびるんだろうと。それは当たり前のことと受けとめていないからでしょう」。「宮本=ぼくは、死生観が根底にない物書きは、ぐらぐらすると思います。・・・小説が人生や人間を書くものだとすれば、作家は生とはなにか、死とはなにかの問いに入らざるを得ない。死という不可視なものを描くからこそ、自分の生死に関する哲学や思想の立ち位置がものをいうと思う」。「宮本=その人は、人間一人一人の命を万年筆のなかのインクに譬えていました。命が尽き、臨終を迎えたとき、このインクの一滴というあなたの命は、海にぽとんと落ちると。落ちた瞬間はまだインクは青い。でも、たちまち広がって、もうインクの色などなくなる。しかしインクは消滅したのではないよね。そのインクは、海水に溶けた状態で厳然と存在しているのだ、というのです。海そのものになることが、死なのだと」。私には、このインクの譬えは少し無理があるように思えるのですが。

宮本が必ず年に一回は読み返す小説として、『赤毛のアン』(全10巻)、『夜明け前』、西行の歌集を挙げています。

読書について、宮本はこう語っています。「最初から、これを人生に役立てようという読書はどこかさもしい。でも無心に読んでいたことが、ふとなにか役立つときが来るんです。大きなフレキシビリティを与えてくれるんだと思う。つまらない人間ってフレキシブルじゃないんです」。

宮本は男女の仲にも言及しています。「古い言いかたをすれば、男と女ぐらい相性が左右するものはありません。相性とは理屈で説明できず、合うか合わないかしかない。だから相性が合わないとわかったら、それはもう破綻。別れたほうがいいんです。女性の中には、経済的な問題から、水と油ぐらい相性が悪い相手とも不幸な結婚を続ける人がありますね。しかしつまらない男と一緒に暮らすことほど、人生の損失はないと思うんですよ」。全く同感です。

宮本の健康に対する考え方は実にシンプルです。「しかしなんで健康に留意するかといえば、それは書きたいから。ぼくは85歳まで小説を書きたいので、健康でいたい」。

宮本の魅力が身近に感じられる一冊です。