図書館、本、映画について、静かに語りかけてくるエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(290)】
長野の善光寺の真っ暗な回廊を中腰で巡る「お戒壇めぐり」で、腰が痛くなってしまいました(涙)。大町温泉のからまつ荘で雪見風呂を楽しむことができました。私好みの岩に囲まれた小さな露天風呂です。雪一色の中庭は静まり返っています。高さが3mもある大きなかまくらの内部は、意外に寒さを感じませんでした。因みに、本日の歩数は10.079でした。
閑話休題、『司書はゆるりと魔女になる』(大島真理著、郵研社)は、長らく図書館学・司書学の教鞭を執ってきた著者の手になるエッセイ集です。
「井上ひさしの偉業」では、『ひょっこりひょうたん島』の舞台となった岩手県大槌町にある釜石小学校の校歌が紹介されています。「いきいき生きる いきいき生きる ひとりで立って まっすぐ生きる 困ったときは 目をあげて 星を目あてに まっすぐ生きる 息あるうちは いきいき生きる」と、いかにも井上らしいユニークな作詞です。「このような言葉の洗礼に、子供の時に出会うか否かは、その後の人生に大きな違いがあると断言できよう。ひいては、朗読された時に感動する力を生む土台になる」。
「佐賀県武雄市図書館」では、同図書館を実際に訪れ、使い勝手を評価しています。「武雄市図書館に、以前あった書庫スペースがほとんどなくなったという話であるから、自明ともいえる日常的処理ができないのだ。・・・調べる資料がないがしろにされていて、憤りさえ覚える。・・・本が可哀そうというのが、実感だった。図書館では、資料が使われてナンボである。そんな手立てもない配架をしている本の並びだった。・・・シェルフリーディングをしようにも、それができない図書館、レファレンス・コーナーがない図書館。児童書コーナーも全く魅力的ではない。・・・利用者側の視線は皆無だった」と、専門家だけに辛辣です。著者は、「いい図書館に共通しているのは、蔵書に呼び込まれるようなワクワク感がある」と断言しています。
「静謐な日常の偉大な物語」では、映画『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』が取り上げられています。「カトリックでも戒律の厳しさを誇り、今まで公開されることのなかった中の様子が、モザイク画のように映し出される。ドキュメンタリー映画の楽しみは、ストーリー性を持たない特性が、逆に見る側への再構成を促す部分がある。後になって浮かび上がる大きな意図が、一人の修道僧の祈り、新人修道僧の入院の儀式、夜の祈り、自然の静寂、それらすべてにあるかのように、映像はつながれていく。・・・(監督が)6カ月間生活を共にし、たった一人で照明もなく自然光でこの映画を撮る。だから、音楽もなくナレーションもなく、自然音と映像のみである。それでも画面に引きつけられる。改めて映画とは何かを突きつけるように」。何としても、この映画が見たくなってしまいました。
図書館について、本について、そして映画について、静かに語りかけてくる味わい深い一冊です。