気分が落ち込んだとき、笑ってすっきりすること請け合いの短篇・・・【情熱的読書人間のないしょ話(400)】
アゲハチョウ、キアゲハ、クロアゲハ、アオスジアゲハ、モンシロチョウ、モンキチョウなどのチョウが我が家を訪れますが、ルリシジミが飛び交う光景を目にすると心が和みます。地味な小さいチョウですが、表翅は美しい水色をしています。散策中に、青い花を咲かせているツユクサを見つけました。ひっそりとした佇まいに、なぜか心惹かれます。ホタルブクロの釣り鐘状の淡紫色の花が涼しげです。因みに、本日の歩数は10,552でした。
閑話休題、『ボロ家の春秋』(梅崎春生著、講談社文芸文庫)には、何度もくすりと笑ってしまいました。
「一軒の家を自分のものにして、田舎から老母を呼び、そして適当な相手を見附けて結婚したい。それが彼の小市民的な理想なのに、不破、陳の両人からしてやられ、しかも僕といふ男と同居の羽目に立ち到つた。それが腹が立つてたまらないらしいのです。その忿懣はほんとは自分に対して向けられるべきなのに、当面の僕にぶつつかつて来るといふのが真相らしい。しかしそれで黙つて引き下つてゐては僕の立つ瀬はないぢやありませんか」。
「まあかういふ工合にして、僕らの気持は一事件毎に、少しづつこぢれて来た。入居の当初、お互ひに理想的同居人たるべく努力しようと盟ひ合つたことなど、もはや夢の中の出来事のやうです。もう野呂の顔を見ただけでも、闘争心みたいなものが湧き起つてくるやうな気がするのです」。
「出すものは舌を出すんだつて嫌がる男ですから、固定資産税なんか飛んでもないと考へてゐるのでせう。かうして一つ家を二人で所有し合つて以来、お互ひにあまり口をきかなくなつたが、それはお互ひに無関心になつたことかと言ふと、飛んでもない、全然その反対なのです。表面上相手を黙殺するやうな態度をとり、生活の干渉を一切避けてゐるやうに見えますが、内心はピリピリして、相手の一挙一動に神経をとがらせてゐる。それはさうでせう。家が僕らにぶら下る重みは、以前より大幅に増してゐる。野呂も未だこの家を独占しようとの欲望は捨ててゐないに決つてゐるし、すきあらば僕の弱点をつかまうとねらつてゐるでせう。さういふ野呂に対して、僕も細心の注意を払はざるを得ないのです。毎日の日常がピリピリと緊張して、そのことがむしろ生甲斐を感じさせるほどでした。放つて置けない相手が同じ屋根の下にゐることは、実際張り合ひがあるものですねえ。その間の心理は野呂にも同じらしい」。
「長々とおしやべり致しましたが、昨年春から現在にいたる悪戦苦闘のかずかずは、以上の如くほんとに涙なくしては語れません。現在とても、最後的破局が明日来るか、一週間以後に来るか、あるひは現在のにらみ合ひの状態がまだゑんゑんと続くか、皆目見当もつかない有様です。全くをかしなものですねえ。僕ら二人は同じ被害者であり、現在でもある意味では同じ脅威にさらされてゐるわけなのに、二人の努力はその脅威を取りのぞいて平和を取り戻す方向にはむけられず、お互ひを傷つけ合ふことばかりにそそがれてゐるのです」。
「僕」は読者に向かって同居人・野呂の悪口をたらたらと言い立てますが、そういう「僕」だって野呂に負けず劣らず嫌みな人間なのです。意地になって嫌がらせをやり合う二人の姿に自分のカリカチュアを見る思いがして、肩をすくめてしまいました。
1954年下半期の直木賞受賞作品ですが、気分が落ち込んだとき、笑ってすっきりすること請け合いの短篇です。