川中島合戦を舞台に、義を貫いた若き武将の物語・・・【情熱的読書人間のないしょ話(466)】
我が家の庭を、アゲハチョウ、キアゲハ、クロアゲハ、アオスジアゲハ、ツマグロヒョウモン、ヒカゲチョウ、モンシロチョウ、モンキチョウ、キタキチョウ、ヤマトシジミ、チャバネセセリなど、さまざまなチョウが訪れますが、彼らはなかなか止まってくれないので写真を撮るのは難しく、いらいらさせられます。しかし、粘りに粘って、遂にクロアゲハをカメラに収めることができました。そして、驚いたのは、アカボシゴマダラが我が家にも初めて出現したことです。散策中に、池で泳ぐ黄金色のコイを見かけました。カルガモたちが群れています。パートナーを求めてシオカラトンボが水辺を飛び回っています。因みに、本日の歩数は10,771でした。
閑話休題、『吹けよ風 呼べよ嵐』(伊東潤著、祥伝社)は、上杉謙信と武田信玄が5度に亘り戦った川中島合戦を舞台に、謙信方の若き武将・須田満親を主人公とする歴史小説です。
川中島合戦は、北信濃への領土拡大を図る野心家の信玄と、北信濃の国衆(国人、土豪、地侍)たちから助けを求められ、義の名のもとに信玄の野望を挫こうと立ち上がった謙信が長期間、鎬を削った戦いですが、謙信に頼ろうとした人物こそ、満親の主筋に当たる北信濃の盟主・村上義清だったのです。こういう背景を考えると、本書で、恩義のある謙信が「義」の化身、敵の信玄が「欲」の権化として描かれているのは已むを得ないでしょう。
「意外にも、その声は快活だった。景虎(謙信)の年齢は、満親より6歳年長の24歳なので、考えてみれば当然である。・・・これが、22歳で越後を統一した傑物か。・・・『よかろう。神仏は義に味方する。わが手で武田晴信(信玄)の首を獲り、北信の地に静謐をもたらしてみせよう』」。
「『晴信は調略をもっぱらとし、利で誘って多くの者どもを傘下に組み入れます。それゆえ、われらは内から崩された次第』。『内からか』。景虎が嫌悪の情をあらわにした。・・・戦わずして領国の拡大を目指すことが、国人土豪の盟主である戦国大名の使命であり、そのためには手段を選ばないのが常である。しかし、景虎という男だけは違うらしい。・・・『戦に負けた武将の治める地の民は、甲斐に連れていかれ、市で売買されます』」。
「景虎の声が上ずる。『そうだ。この世は戦ばかりだ。なぜに皆、相争う。戦って勝ち、その後に何を求める。すべては空しきものではないか』。・・・『そなたの申す通り、この世は欲に憑かれた者ばかりだ。皆、己の栄華のために他人の苦しみを顧みず、他人の物を奪うことだけに血道を上げておる。その典型こそ武田晴信』」。
テンポよく物語が展開していくので、一気に読み通してしまったが、川中島合戦がどのように行われ、謙信、信玄の戦略・戦術がいかなるものであったのかが、臨場感豊かに伝わってきました。これこそ歴史小説を読む醍醐味です。
「信濃先方衆の故地奪回は成らなかったものの、以後、信玄は越後国への本格的侵攻をあきらめ、上野国へ、さらに駿河国へと駒を進めていく。信玄の戦略構想を根本から変えさせたという意味で、政虎(謙信)と越後国衆にとって、この戦い(第四次川中島合戦)は意義あるものとなった。結局、信玄は飯山領を除く信濃全土を制圧したとはいえ、天文10(1541)年に諏訪郡への侵攻を開始してから、ここに至るまで、おおよそ20年の歳月をかけてしまった。しかも川中島の制圧には、その半分の10年がかかっている。その時間的損失が、天下を制して幕府を開くという、信玄の野望を頓挫させることにつながっていく。・・・第五次川中島合戦と呼ばれる戦いは、対峙だけで終わった。甲越両軍の川中島をめぐる戦いは、これが最後となり、両雄の直接対決も二度と行われることはなかった」。
生き残りを懸けた戦いの陰で調略、裏切りが盛んに行われたが、武田方の調略担当として、真田信繁(幸村)の祖父・真田幸綱が大活躍します。「北上策を取り始めた甲斐の武田晴信と、その手足となって暗躍する真田幸綱が、北信の国衆の間に疑心暗鬼の火種を撒き散らし、国人たちは互いに腹を探り合うようになっていた」。