榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

政敵・江藤新平を晒し首にした大久保利通・・・【情熱的読書人間のないしょ話(580)】

【amazon 『逆説の日本史(22)』 カスタマーレビュー 2016年11月4日】 情熱的読書人間のないしょ話(580)

散策中、あちこちで鮮やかなキクを見かけるようになりました。ツタが紅葉し始めています。赤くなる前のカラスウリは緑色と黄色の縞模様です。ヘイケボタルの幼虫飼育ヴォランティアのヴェテランによると、餌になるタニシは寒くなると土の中に潜ってしまうとのことなので、田んぼでたくさん採取してきました。我が家にオオカマキリがやって来ました。オオカマキリとチョウセンカマキリはよく似ていますが、鎌の付け根部分が黄色いのはオオカマキリ、橙色なのはチョウセンカマキリです。因みに、本日の歩数は10,490でした。

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閑話休題、『逆説の日本史(22)――明治維新編 西南戦争と大久保暗殺の謎』(井沢元彦著、小学館)で一番印象に残ったのは、江藤新平のことである。

「近代国家としてふさわしい人権擁護のためにも、人身売買の撤廃は急務であった。そこで司法卿であった江藤が中心となって改革に乗り出し、ついに1872(明治5)年10月、人身売買を厳禁した歴史的な太政官布告(第295号)が発せられた。・・・それが『牛馬切りほどき』なのである。つまり、こういうことだ。『彼女(遊女)らは人間の権利を奪われている。つまり、その点では牛馬同然である。ならば牛馬である彼女らに人間としての借金返済の義務は認められない。よって、彼女らに債務は無く、楼主もこの返還を求めることはできない』。まさに強引な論理だが、このアイデアを押し通したのが江藤だったのだ。江藤はこのように明治の政治家としてきわめて珍しい人権感覚の持ち主であった」。「日本で初めて憲法の制定や民撰議院(いわゆる議会)の設立を具体的に諫言したのも江藤だったという。いわゆる仇討についても法的にもとるものであり仇を討つ側の負担も重大だとして厳禁すべきという意見を出した」。

こういう江藤が「地元佐賀で起こった乱の盟主に祭り上げられ」てしまったのはなぜか――著者の考察が展開される。「結論から言うならば、江藤は断じて帰郷すべきではなかった。帰郷さえしなければ史上稀に見る不幸な最期は無かった」。逮捕された江藤は時日を置かず、士族の身分を剥奪され、斬首後、晒し首にされてしまう。これは江藤の政敵・大久保利通の仕業であった。「江藤の死をもって(江藤が追及しようとしていた)長州閥の汚職はすべて闇に葬られ、長州閥に恩を売った形となった大久保の権力は絶対化した」。大久保の陰謀は成功したのである。

それにしても、晒し首にされた江藤の画像は、何とも痛ましい限りである。享年40。

大久保はなぜそこまでして政敵を葬り、自己の権力を固めようとしたのか。「幕末から維新にかけての彼(大久保)の行動を見れば、大変な謀略の才の持ち主であるが私利私欲で動く人間ではない」と、著者は評価している。「大久保には大久保の理想があったのだろう。私利私欲の要素が無いなら、日本を一刻も早く近代国家にする、別の言葉で言えば富国強兵の道を貫くことだ。そういう大久保にとってみれば、未だに士族という身分に固執し武士が日本の戦争を担当すべきだという時代遅れの考えは、一刻も早く消し去りたいものであったに違いない」。

西南戦争勃発の陰にも大久保の陰謀があったと、著者は睨んでいる。西南戦争で敗れ自決した西郷隆盛に対する多くの士族の哀惜の念は、大久保に対する憎悪へと変わっていく。そして、西郷の死から8カ月も経たぬ1878(明治11)年5月14日、大久保は不平士族らによって暗殺されてしまうのである。享年47。

大久保は、政敵・西郷を体よく葬り、我が世の春を謳歌している、私腹を肥やしていると人々から見られていたが、その死後、8,000円(現在の数億円に匹敵)もの借金があることが明らかになった。大久保は明治政府の中で最も清廉な人物だったのである。