中世には、あらゆる階層の人々が足を踏み鳴らす乱舞に興じていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(401)】
最寄り駅から自宅までの区間は、できるだけバスやタクシーを使わずに歩いて帰ることにしていますが、夜遅くに幻想的な光景が広がっていました。交差点の赤信号や青信号がマンション建設中の覆いに反射しているのです。
閑話休題、『乱舞の中世――白拍子・乱拍子・猿楽』(沖本幸子著、吉川弘文館)には、いろいろなことを教えられました。
「それまで朗詠・今様など歌中心の場だったのが、12世紀後半頃から、突然、堰を切ったように白拍子・乱拍子が頻出し、宴の場が乱舞に席巻されるようになっていった。・・・今ではすっかり高尚な芸能となっている能のルーツが、社会全体の芸能熱、あらゆる層の人々の身体を共振させるようにして流行していた白拍子・乱拍子に深く根ざしていたというのもおもしろい」。
「中世にあって、足を踏むこと、踏み鳴らすことがいかに重要だったかをものがたるものでもある。乱舞の前の今様の時代には声、しかも、天に澄みのぼってゆくような細く高い美声が重視されていた。乱舞の時代になると、天から地へと、その到達点が180度転換し、しかも、強く高らかに足を踏み鳴らすことに力点が置かれていく」。中世には、あらゆる階層の人々が乱舞に興じていたというのです。力強く足を踏み鳴らすことの気持ちよさは、現代人である私にも実感できます。
私などは、白拍子というと私の好きな静御前を思い浮かべてしまうのですが、著者はこう釘を刺しています。「白拍子というと、どうしても静御前(源義経の愛人)や祇王(平清盛の愛人)などの女性芸能者を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、実は、女性芸能者ばかりが白拍子ではない。なぜなら白拍子は、もともとはリズムの名称だったと考えられるからだ。そして、そのリズムで歌う歌謡や、その歌謡に合わせて即興的に舞う乱舞のことも白拍子といった。さらに、それが一つの見せる芸能として形を整える芸能者の舞として確立されて、その舞や舞手のことも白拍子と呼ぶようになったのだ」。
「白拍子女(め)の起源についてははっきりしないことも多いが、静御前の母、磯禅師に信西入道(藤原通憲)が教えたという説や(『徒然草』225段)、鳥羽院の時代に島の千歳・若の前という二人に始まるという説がある(『平家物語』「祇王妓女」)。それぞれ実在が確認される人物だが、12世紀半ば頃、ちょうど乱舞白拍子の流行と重なるように、白拍子女の存在もクロースアップされていったのだ」。
本書を読んだら、無性に、足を踏み鳴らして踊りたくなってしまいました。