榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

常陸国風土記にヤマトタケル「天皇」が登場するのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(443)】

【amazon 『風土記の世界』 カスタマーレビュー 2016年7月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(443)

散策中に、小さくしか写っていませんが、上空で囀るヒバリをカメラに収めることができました。小さな子スズメがパン屑を啄んでいます。オオタカの羽が落ちていました。カブトムシの残骸はフクロウなどの鳥にやられたものでしょう。ヤマトタマムシの翅の一部も落ちていました。クワカミキリの翅をアリが巣へと運んでいます。キタキチョウ、イチモンジセセリ、ハグロトンボを見つけました。アメンボがすいすいと泳いでいます。因みに、本日の歩数は17,302でした。

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閑話休題、『風土記の世界』(三浦佑之著、岩波新書)には、学校でその名は習ったものの、内容についてはほとんど知らなかった風土記(ふどき)の世界が広がっています。

「古事記や日本書記、あるいは万葉集ほど知名度は高くないが、日本列島の古代を知ることのできる貴重な書物として、わたしたちの前に風土記が遺されている。風土記はそれぞれの国で編まれ律令政府に提出された書物だが、今は、5か国の風土記と後世の書物に運良く引用されて伝わる逸文が遺るにすぎない。数量としてはわずかだが、風土記がなければ何もわからない8世紀初頭の日本列島を記録した資料が、いくらかのフィルターは掛かっているとしても読めることの意義は計りしれない」。

「記録されているのは、土地で語られていた神話や滑稽な話や土地の謂われ、あるいは天皇たちの巡行、土地に生息する動物や生えている植物、耕作地の肥沃状態など、なんでもありの宝箱である」。

現存する風土記は、ほぼ全容の分かる5か国――常陸国、出雲国、播磨国、豊後国、肥前国――の風土記と、後世の文献に引用されたため、現代の私たちも読むことのできる諸国風土記の断簡群(逸文)のみです。これらの風土記は同じ官命に応じて記載・提出されたものでありながら、その内容は国ごとに異なっており、ヴァラエティに富んでいます。著者は、それが風土記の魅力となっていると述べています。

常陸国風土記には、「倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)」という、日本書記にも古事記にも出てこない天皇が登場します。日本書記には日本武尊(やまとたけるのみこと)という名の、古事記には倭建命(やまとたけるのみこと)という名の人物が登場しますが、天皇ではなく夭折する皇子として描かれています。

これに対し、常陸国風土記では、なぜ「天皇」として語られているのでしょうか。「古事記や日本書記のヤマトタケルの伝えでは、常陸国は通過点としてしか存在せず、ほとんど無視されている。それなのに、常陸国風土記では、一方的なかたちで倭武天皇への熱い思いを寄せるのである。これはどう考えても、現存する中央の歴史とは別の歴史認識が存在したと考えるほかはない」。

「常陸国風土記の撰録時には日本書記は存在していなかった。また、撰録者たちにとって古事記が自明の書物であったと見なすこともむずかしい」。常陸国風土記撰録時に古事記は既に存在していたが、古事記は国家の正式な歴史書ではなかったと、著者は考えているのです。

「常陸国においては、悲劇的な死が語り出される以前の、天皇として巡行するヤマトタケルが生き続けており、常陸国風土記にはそれが採用された。中央から赴任していた国司層が、そうした『倭武天皇』を採用できたのは、中央の歴史において、まだ夭折する悲劇の御子像が定着するところまでは固まっていなかったからだとしか考えられない」。

「7世紀初めから8世紀初頭へ、律令国家の歴史叙述がくり返し試みられた。およそ100年のあいだに皇位継承の順序や継承者の顔ぶれは、いくたびも変転し揺れ動いたのだ。その揺れのなかに常陸国風土記の倭武天皇はおり、古事記の倭建命がおり、日本書記の日本武尊がいた。常陸国風土記の倭武天皇の伝承は、天皇家の歴史が確定する以前の、『もう一つ』の歴史や系譜を垣間見せている。古事記でもなく、ましてや日本書記でもない伝承や系譜が、じつはいくつも存在したのであり、常陸国風土記はその一つにすぎない。そうしたことを浮かび上がらせてくれるという点だけでも、常陸国風土記が今に遺された意味は計り知れないほど大きい」。

本書のおかげで、風土記に親しみが感じられるようになりました。