42歳の淑女に突如、訪れた灼熱の一夜・・・【情熱的読書人間のないしょ話(457)】
朝、2階のテラスで洗濯物を干していた女房が、「お腹が黄色い鳥がいるわよ」と駆け降りてきました。おかげで、カワラヒワをカメラに収めることができました。我が家の庭のあちこちに小さな穴が開いています。これらの穴からアブラゼミの幼虫たちが出てきます。雌の写真を撮りました。中には、羽化に至る前にイエヒメアリたちの餌食になってしまう個体もあります。散策中に、ベニバナインゲン、ブドウを見かけました。因みに、本日の歩数は11,462でした。
閑話休題、久しぶりに『女の二十四時間』(シュテファン・ツヴァイク著、みすず書房。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を読み返しました。
1904年のことですが、リヴィエラのホテルに宿泊中の「わたし」は、ある晩、上品な老イギリス婦人から驚くべきことを告白されます。
C夫人は40歳の時、愛する夫を病気で失います。「心の底では、この瞬間からわたしの生活がまったく無意味で無用なものになってしまったのをわたしははっきりと感じていました。23年間というもの、あらゆる時と思いとをともにしてきた夫はすでに死に、子供たちはわたしを必要としていないのです」。
喪に服して2年目、たまたまモンテ・カルロのカジノ見学に訪れたC夫人は、ルーレットで全財産を失ってしまった若者を目撃します。24歳になるかと思われる青年です。「この(若者がよろめきながら出ていく)光景を見てわたしは石のようになりました。この男がどこに行くのかが、わたしにはたちどころにわかったからです。その赴くところは、死であるにほかなりません」。C夫人は、この見知らぬ男の後を追って闇の中へと急ぎます。
土砂降りの中、公園のベンチに死んだように崩れ落ちている若者を死から救うべく、C夫人は若者を小さなホテルに運び込みます。
翌朝、「目を横にむけたとき・・・その目に・・・わたしがどんなにびっくりしたかはとうてい申しあげようもありません――見知らぬ男が、はばひろのベッドに、わたしとならんで眠っているのです――どうしても見たことがないのです、知りもしない男なのです、知らない男がわたしと寝ているのです、半分はだかでわたしの知りもしない男が・・・」。
若者に経済的な救いの手を差し伸べ、別れを告げたC夫人の胸中に思いもかけない変化が生じます。「わたしはもう自分をあざむきません――あの人がそのときもしもわたしをだいてくれて、もしもこのわたしをうながしたなら、わたしはあの人といっしょに地の果てへまでも行ったことでしょう、わたしの名前にも、ふたりの子供たちの名前にも、汚名をきせたことでしょう・・・人の口の端になにを言われようとも、内心の理性がなんと言おうとも、さらに意にかいせず、あの人といっしょに、かけおちしてしまったことでしょう。・・・わたしのお金、名前、財産、名誉、こんなものはみんなあの人のために犠牲にしてしまったことでしょう・・・乞食にでもなんでもなったことでしょう、あの人がそうしむけてさえくれたら、きっとどんなにいやしいことでもしたことでしょう。人のいう恥だとか外聞だとか、そんなものは一切かなぐりすててしまったでしょう、ただひとこと、ただ一歩、あの人がわたしにあゆみよっていたなら、わたしをつかまえようとしてくれたならです。それほどわたしはこの瞬間にあの人にほれこんで、見さかいもなにもなくなっていたのです。しかし・・・この奇妙に酔いしれた人はわたしを見ながら、わたしのなかの女には全然目もくれなかったのです」。
女性のこのように激しい思いには圧倒されますが、愛の往復書簡集『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』(ピエール・アベラール、エロイーズ著、畠中尚志訳、岩波文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)のエロイーズの手紙の一節――「たとえ全世界に君臨するアウグストゥス皇帝が私を結婚の相手に足るとされ、私に対して全宇宙を永久に支配させると確約されましても、彼の皇后と呼ばれるよりはあなたの娼婦と呼ばれる方が私には愛しく、また価値あるように思われます」――を私に思い起こさせました。
ここまででもこの物語は十分に刺激的ですが、この後、思いもかけないどんでん返しが待ち構えています。
女性の愛と性を考えようとするとき、見逃すことのできないツヴァイクの傑作です。また、賭博の魔力についても深く考えさせられる作品です。