榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

世界史の教科書は、大人にとっては手軽な百科事典だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(635)】

【amazon 『詳説 世界史B』 カスタマーレビュー 2017年1月4日】 情熱的読書人間のないしょ話(635)

家から歩いて30分ほどの千葉・流山の茂侶神社で初詣。散策中に、戯れ合うメジロのカップル、肥満気味のキジバトを見かけました。ソシンロウバイが蝋細工のように透明感のある薄黄色の花をたくさん付けています。ニホンズイセンが清々しい花を、ツバキが気品のある薄桃色の花を咲かせています。今宵は、三日月、そのすぐ右側の火星、右下の金星の揃い踏みです。因みに、本日の歩数は10,988でした。

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閑話休題、私たち大人にとって、教科書は手軽な百科事典的な役割を果たしてくれます。近年、特異な角度から世界史にスポットを当てた興味深い著作が相次いで出版されていますが、これらは特定のテーマ、地域に焦点が絞り込まれています。いわば、特定のテーマを虫の目で深く掘り下げているのです。これらは、当然のことながら世界史全体を網羅しているわけではありません。そこで、教科書の登場です。それらのテーマや地域を上空から鳥の目で見渡すことによって、世界史全体のどの時代の、どの地域の歴史かが理解できるのです。

教科書はたくさんありますが、私は『詳説 世界史B』(木村靖二・佐藤次高・岸本美緒著、山川出版社)を手許に置いて、こまめに開くようにしています。

例えば、西ヨーロッパの成立に大きな影響を及ぼしたゲルマン人の大移動は、このように説明されています。「アルプス以北のヨーロッパには、前6世紀頃からケルト人が広く住み着いていた。バルト海沿岸を原住地とするゲルマン人は、ケルト人を西に圧迫しながら勢力を拡大していった。ゲルマン人は紀元前後頃にはライン川から黒海沿岸にいたるまでの広大な地域に広がり、ローマ帝国と境を接するようになった。その頃のゲルマン人は数十の部族にわかれ、各部族が一人の王や数人の首長をもっていた。・・・農業がおもな生活の手段となり人口が増えてくると耕地が不足し、これが民族移動の内的要因となった。・・・4世紀後半、アジア系のフン人がドン川をこえて西にすすみ、ゲルマン人の一派である東ゴート人の大半を征服、さらに西ゴート人を圧迫した。そこで西ゴート人は375年に南下を始め、翌年にはドナウ川をわたってローマ帝国領内に移住した。それをきっかけにほかのゲルマン諸部族も大規模な移動を開始し、約200年におよぶゲルマン人の大移動が始まった。西ゴート人は410年ローマを略奪したのち、ガリア西南部とイベリア半島に移動して建国した。ヴァンダル人は北アフリカに、またブルグンド人はガリア東南部に、フランク人はガリア北部にそれぞれ建国した。アングロ=サクソン人は大ブリテン島にわたり、のち9世紀までのあいだにアングロ=サクソン七王国(ヘプターキー)をたてた」。

ロシアの起源は、このように記述されています。「スカンディナヴィア半島やユトランド半島には、ゲルマン人の一派(北ゲルマン)に属するノルマン人が住んでいた。彼らの一部は8世紀後半から、商業や海賊・略奪行為を目的として、ヨーロッパ各地に本格的に海上遠征をおこなうようになった。ヴァイキングとしておそれられた彼らは、細長くて底の浅いヴァイキング船に乗り、河川をさかのぼって内陸深く侵入した。・・・一方、リューリクを首領とするノルマン人の一派(ルーシ)はドニエプル川流域の(東)スラヴ人(ロシア人・ウクライナ人など)地域に進出して、9世紀にノヴゴロド国を、ついでキエフ公国を建設し、これがロシアの起源となった」。

ルネサンスの本質について、興味深い指摘がなされています。「中世末期の西ヨーロッパでは都市が発展し、そこから中世の文化を引き継ぎながら、人間性の自由・解放を求め、各人の個性を尊重しようとする文化運動があらわれた。これがルネサンス(『再生』の意味)で、およそ14世紀から16世紀にわたってヨーロッパ各地に広まった。ルネサンスは近現代につながる文化の出発という側面から理解されることが多いが、中世の文化の継承・発展という面もある」。

1cm6mmの厚さしかない百科事典ですが、大いに役立ってくれますよ。