榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

娘から見た父・吉田健一の一生は至極単純であった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(694)】

【amazon 『父 吉田健一』 カスタマーレビュー 2017年3月13日】 情熱的読書人間のないしょ話(694)

我が家から歩いて30分足らずの所にある発掘中の遺跡の見学会に参加しました。因みに、本日の歩数は16,139でした。

閑話休題、『父 吉田健一』(吉田暁子著、河出書房新社)では、娘から見た父・吉田健一の日常の姿が活写されています。

「父の一生は、ものを書きたくてものを書き始め、結婚して家庭を持ち、ものを書いて生計を立て、犬を飼い、面白い本、良い文章を読み、美味と酒に親しみ、良い友人とつき合い、旅を愛したというもので、いわば単純である。ものを書いて、しかもそれで家族を養うということには特殊な難しさがあると思うが、そのためにも父の一生は単純になったと思う。そして父はそういう単純な内容の生活に至極単純な形をつけた」。

「父の生活は単純だった。多くのことを切り捨てたのだろう。・・・自分に本当に大切なことだけを確実に大切にしようと父は思ったに違いないが、それでも父の一日はいくつものことでできていた。・・・父のそういう生き方のおかげで、私と父の関係は少くとも私にとって、理想的なものだったと今思う。・・・時々父と、静かな充ち足りた時を過した。父と一緒にいた最後の時も、父は父だった」。

「父はものを書いて生きた。言葉に惹かれ、言葉の世界を渉猟し、言葉の世界を作ることを始めて、それが生活の資を得る手段ともなったのだ。言葉はこの世界の現実から生れるが、直接現実の世界に働きかけることはない。好ましい現実からも好ましくない現実からも言葉は生れ、もう一つの現実、言葉の現実を作る。言葉に惹かれ言葉に生きた父は、政治にも経済にも志さず、この世の中に対して働きかけようとはしなかった。しかし、どんな世の中であれ人間の世界に本来具わっている『良いもの』を――父にとってそれは言葉であり、酒であり、友人であり・・・――精一杯味わった。父にとって可能な限り徹底して味わった」。

「父の迫力は父の作品の独自性の一つ、味の一つでもある。父の文章は、父が自分が書いていることをいかに確信しているかを感じさせる。その確信は、文学についてにしろ文明についてにしろ、あるいは或る食物のおいしさにしろ、一つの問題についての確信に止らず、この世の良いものから眼を離さないで生と一つでいようという父の不動の意志につながっているので、読む者への作用として、精神を刺激する一方、何か安らがせる」。

5度に亘り首相を務め、戦後日本の方向性を定めた吉田茂の長男でありながら、父と同じ道は目指さず、自分に正直に生きた健一の生き方が、静かな筆致で、鮮やかに描き出されています。

そして、ここには、理想的な親子関係があります。どのような生き方をするにしろ、このような親子関係が築けたら、どんなに素晴らしいことでしょう。健一も自分が娘からこう見られていた、自分の本質を正しく理解してくれていたと知ったら、泉下で微笑んでいることでしょう。

著者は、父の生き方のDNAを受け継いでいるだけでなく、文章の巧みさも引き継いでいることが分かる一冊です。