榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

湿原を見下ろす小さなラブホテルを巡る人々のどうしようもない哀しみ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(708)】

【amazon 『ホテルローヤル』 カスタマーレビュー 2017年3月25日】 情熱的読書人間のないしょ話(708)

三共時代の先輩・井手口盛哉氏の写真展において、被写体を独自の目で捉えるヒントを得ることができました。ソメイヨシノの満開はもちろん素晴らしいのですが、咲き始めもなかなか風情があります。因みに、本日の歩数は19,091でした。

閑話休題、『ホテルローヤル』(桜木紫乃著、集英社文庫)を読み終わって感じたのは、日本にこういう書き手がいたのかという嬉しい驚きでした。

映画や小説の表現方法に、ホテルのような場所に登場するさまざまな人々の人間模様を描くグランドホテル方式というのがありますが、本作品も枠組みとしてこの方式を採用しています。グランドホテル方式では、普通、同時間帯に起こるそれぞれの出来事が並行的に描写されることが多いのですが、この作品では、「ホテルローヤル」という客室が6しかない小さなラブホテルの開業段階から営業段階、廃業を経て、廃墟に至るまでの長い期間が対象となっています。しかも、時系列で物語るのではなく、いろいろな時点の出来事をシャッフルして並べることによって、ラブホテルの猥雑感を漂わせることに成功しています。

「ギフト」は、ホテルローヤルを開業した田中大吉と、21歳年下の愛人・るり子の物語です。「『俺さぁ、商売って夢がなくちゃいけないと思うわけよ。世の中男と女しかいないんだからさ、みんなやりたいこと同じだと思うのよ。夢のある場所を提供できる商売なら、俺もなにか夢がみられそうなんだ』。言いながら自分の胸に言い聞かせる。『失敗なんかしないし、できっこない』。大吉の独り言を、るり子はいつも黙って聞いていた」。「見下ろした湿原は、真夏の光を吸い込んで葦の葉の先まで緑に輝いている。青山建設の社長の話では、今決断すれは雪解けのころには営業を始められるということだった」。

「星を見ていた」は、ホテルローヤルの掃除婦・山田ミコと、働かない10歳年下の夫・正太郎の物語です。「ミコが、世の中のおおかたの夫婦が毎日体を繋げる生活などしていないことを知ったのは、ホテルローヤルに勤めだしてからだった」。「部屋数6つのラブホテルは、湿原を見下ろす高台に建っている。国道から1キロほど山に入るせいで、町場のホテルより昼間の客が多いということだ。朝からやってくる客もいる」。

「バブルバス」は、狭い賃貸アパートでは夫と肌を合わせることもままならぬので、ホテルローヤルを客として利用した本間恵と、夫・真一の物語です。「『いっぺん、思いっきり声を出せるところでやりたいの』」。「部屋には壁紙と同じ柄の内窓があり、外は真昼でも室内はみごとに夜の気配だった。浴室の半分を金色の湯船が占めていた。照明は湯船に円を描くスポットライトだ。湯あかの染みが取れないアパートの風呂場とは大違いだった。給湯の蛇口をひねってお湯の温度を確かめる。家庭風呂では考えられない量の湯が勢いよく浴槽の底を叩いた」。「陽光が(寝ている)真一のところに届かぬよう、もう5センチほど戸をずらしてみる。ホテルは湿原を見下ろす場所に建っていた。向こう側は崖のようだ。その下は釧網本線と並行する国道だろうか。窓から見えるのは繁る緑の葦原と、黒々と蛇行する川だった。眩しい夏の景色が広がっている」。

「えっち屋」は、ローヤルホテルの廃業日を迎えた29歳の田中雅代と、ホテルにアダルトグッズを納品する会社の営業担当、39歳の宮川の物語です。「10年間ここで寝起きし、食事をしながら29歳の今日まで暮らしてきた。ラブホテルの管理以外の仕事をしたこともない。盆暮れ正月、祭りや花火大会のかき入れ時は、部屋の回転数を上げるために掃除に走る。たとえ食事の最中でも、ベッドメイクと風呂掃除をする。男と女の後始末が、ここに生まれた雅代の仕事だった。飲料水メーカーや酒屋、出入りの業者に連絡し、引き取ってもらえるものはほとんど処分した。あとはえっち屋(アダルトグッズ業者)がくれば後始末も終わる」。「昼も夜もない暮らしはあたりまえだった。客は陽が高くても夜を求めてここにくる。後ろめたさを覆う蓋に金を払う」。「男も女も、体を使って遊ばなきゃいけないときがある――」。

「本日開店」は、誰も引き取り手が現れない田中大吉の遺骨を引き取ることになった貧乏寺の住職の妻、40歳の設楽幹子と、20歳年上の夫・西教の物語です。「西教のひととしてのたたずまいはこれまで出会った男など比べものにならぬほど美しかったが、男としては不能であった。幹子は早いうちに、この先男に触れられないまま生きてゆくことも『尼になったと思えばよし』という思いにすり替えた。(不美人という)女としての劣等感はかろうじて大黒(住職の妻)という立場に守られることになった」。「寺を維持してゆくためには檀家の支援が不可欠だ」。「幹子は布製の手提げ袋から茶封筒を取りだした。中には(体を提供した後)佐野敏夫から受けとった金が入っている。3万円というのは、(体の)関わりを持った檀家筋の4人が決めた額だという。10年間変わらない」。

「シャッターチャンス」は、忍び込んだ今や廃墟となっているホテルローヤルの一室で投稿用のヌード写真を撮らせる33歳の加賀屋美幸と、撮影させてくれとせがんだ同棲中の中学時代の同級生・木内貴史の物語です。「恋愛に対して無駄な夢をみなくなったぶん、男の体に残る華やかな傷痕に触れられるのが嬉しかった」。「貴史がヌード写真を撮りたがっていると知ったのは、1週間前、モデルになってくれと言われたときだ」。「建物が営業をやめてから何年経ったかわからない。『ホテルローヤル』は自分たちが体を重ねてきた期間もずっと朽ち続けていたのだろう」。

湿原を見下ろす小さなラブホテルを巡る、人間のどうしようもない哀しみが惻々と身に迫ってくる小説です。