榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

岩佐又兵衛の絵巻群に、絵巻の注文主・松平忠直サイドから迫った労作・・・【情熱的読書人間のないしょ話(869)】

【amazon 『岩佐又兵衛と松平忠直』 カスタマーレビュー 2017年9月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(869)

読み聞かせヴォランティアで、『バスをおりたら・・・』、『その気になった!』、『ようちえんいやや』を読みました。子供たちのキラキラ輝く瞳が私たちの原動力です。暗がりの奥に希望の明かりが覗いているかのような写真が撮れました。因みに、本日の歩数は10,967でした。

閑話休題、『岩佐又兵衛と松平忠直――パトロンから迫る又兵衛絵巻の謎』(黒田日出男著、岩波現代全書)は、岩佐又兵衛勝以(かつもち)と又兵衛風絵巻群に興味を持つ人にとって必読の書と言えます。

又兵衛を中心とする画工(絵師)集団にこれらの絵巻群を書かせた注文主・パトロンに焦点を当てた初めての著作だからです。

著者は、注文主を徳川家康の次男・結城秀康の長男・松平忠直と推考し、忠直の好み・嗜好・趣味、意図・意向が強く反映した又兵衛絵巻群は又兵衛と忠直とのコラボレーション作品だとまで言っているのです。

「元和年間の忠直は、将軍(徳川)秀忠に対する不満と怒りを増大させていった。叔父(父の弟)であり、義父(妻の父)でもある将軍秀忠が、①自分を未熟な(越前)藩主と見做していること、②大坂の陣の勲功に対する恩賞を約束しておきながら、所領の加増をしなかったこと、③『大名衆雑居』の席に自分を座らせたこと(=屈辱的な扱い)等々に対する不満や怒りであったと考えらえる。忠直の酒色に溺れるなどの『乱行』は、元和2(1616)年頃から始まる。秀忠の娘である妻徳川勝子との仲はどんどん険悪化してゆき、怒りのあまり妻を殺そうとさえした。そして元和7、8の両年には、参勤途中に関ヶ原で長期間滞留し、結局、越前に引き返してしまう行為を繰り返すに至った。この参勤拒否行動は、幕府に対する反抗と受け取られる。そして同9年2月、秀忠の命によって『隠居』の身とされ、忠直は、豊後国萩原(のちに津守)へと流されたのであった。こうした危機的な事態が進行しつつある中で忠直は、『堀江物語』『山中常盤物語』『浄瑠璃御前物語』『をぐり(小栗判官物語)』『村松の物語』を選び、のちに『又兵衛風絵巻群』と呼ばれるようになる長大かつ豪華絢爛たる5つの絵巻を、又兵衛ら画工集団に命じてつくらせていたのである。つまり、『又兵衛風絵巻群』の制作は、美的な趣味レベルでだけ捉えるのではなく、この時期における忠直の不満や怒りと密接不可分であり、彼の内面(倫理や思想など)と深く結びついていたと考えるべきなのだ。これらの物語には、彼の思想や倫理そして願望などと共鳴しあう内容が詰まっていると見るべきだろう。恐らくそれらは、義父秀忠や妻勝子に対する不満や怒りと結びついているのではあるまいか」。

著者は、夫婦の「契り」を重視する忠直は、父秀忠に背いてでも、妻勝子が夫である自分の側に立つ貞節な妻であることを求めたに相違ないというのです。しかし、勝子が忠直の願いに応えなかったことは、史実が物語っています。将軍秀忠と妻・江の娘である勝子は父母の側に立ち、夫とは距離を置いたため、二人の関係は深刻化していき、抜き差しならない不和へと突き進んでいったのです。こういう不本意な環境の中で、忠直は、絵巻群の主人公と自分を重ね合わせることに救いを見出していたのでしょう。そのおかげで、今日、私たちが又兵衛風絵巻群という独創的な作品を目にすることができるのだと考えると、複雑な気持ちにならざるを得ません。