なぜ私がこれほど米原万里を好きなのか、その理由が明らかになった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(920)】
私が一番好きな野鳥はオナガです。そのオナガの形、色がはっきり分かる写真を撮りたいと、長年、挑戦してきましたが、今日、遂に願いが叶いました。モズが木の天辺で囀っています。コガモの雌が水から上がり、羽繕いをしています。マガモのカップルが泳いでいます。カルガモの脇でカワウが羽を広げています。今朝は久しぶりの朝焼けでした。因みに、本日の歩数は17,311でした。
閑話休題、『米原万里――真夜中の太陽は輝き続ける』(河出書房新社・文藝別冊)に収載された、米原万里本人のエッセイ、対談、米原をよく知る人々のエッセイ、対談などにより、米原という稀有な人物像が立体的に浮かび上がってきます。
河野通和との対談での福岡伸一の発言。「(『打ちのめされるようなすごい本』の)索引を見ると、米原さんがどんな著者が好きだったのかっていうのがわかるんですよね。丸谷才一に言及した箇所っていうのはものすごくたくさんあるんですよ。12ヶ所もページが引用されていて、これはトルストイよりも多いぐらいなんですね。丸谷さんの小説をすごくリスペクトしていらっしゃったんじゃないでしょうか。『ま』のあとに『む』があるんですけれど、村上春樹は1つもないんです。だから、好き嫌いが激しい人であったのは間違いないんです」。米原と私の好き嫌いが一致していることを知り、嬉しくなりました。
沼野充義の回想の一節。「米原さん日本語とロシア語の両言語を自由に操る語学力に加えて、なんでも面白がる好奇心と物事の本質を見抜く鋭い直感、そしてジャンルを問わず面白そうな本を読み漁る無類の博読で際立っていた。一つの主題についてこつこつと調査を積み重ねて地道に論文や研究書を書き、理論的な構築をする学者タイプではない。そのかわり、彼女がエッセイの至るところでぱっぱっと繰り出す機知に満ちた発見には、目からウロコ、びっくりするほど愉快なものがいくつもあった」。
「米原さんは文学的素養は広く深かったけれども、その趣味はいささか古風というか、あまりに正統的であって、難解なレトリックで人を煙にまくような評論や、実験的な『崩れた』ポストモダン文学などのよき理解者ではなかったことは確かである。じつは彼女は、近代批評の頂点として崇められる小林秀雄に対しても、容赦なかった」。文学の趣味の面でも、米原と私は同志であることが確認できました。
李賢進のエッセイの一節。「万里さんの文章には、凄まじい読書量からくる膨大な知識を自由に操る筆力もさることながら、自らの境遇から育まれたであろう複眼的思考と深い洞察、人間に対するあたたかい視線がある。人間の自由を束縛する理念、偏見、貪欲さに対しては、厳しい意見を言い、反対に弱きもの、小さい命には限りなく愛情の念が注がれることに読者たちは気付いている」。
なぜ私がこれほど米原万里を好きなのか、本書のおかげで、その理由が明らかになりました。