明治・大正期に、歌で強権政治に抵抗した添田唖蝉坊という演歌師がいた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(927)】
散策中、ベニシジミ、ヤマトシジミの雄、アキアカネ、トノサマバッタ、イボバッタ、ツチイナゴ、ナナホシテントウに出会いました。夕月がアンテナに載っています。因みに、本日の歩数は17,716でした。
閑話休題、『軟骨的抵抗者――演歌の祖・添田唖蝉坊を語る』(鎌田慧・土取利行著、金曜日)を読んで、明治・大正期に、歌で強権政治に抵抗した添田唖蝉坊(あぜんぼう)という演歌師がいたことを知りました。聞いたことのある「~サリトハツライネ テナコトオッシャイマシタカネ」も唖蝉坊の作品と知りました。
唖蝉坊というのは、現代の歌手で言えば、本書でも挙げられていますが、「サマータイム・ブルース」の替え歌で原発をこき下ろした忌野清志郎のような存在だったのでしょう。
「近代流行歌の祖、添田唖蝉坊(1872<明治5>年~1944<昭和19>年)がいまふたたび注目されるようになりました。関心をもつ人がふえていますし、人気が出てきていますね」。
「明治の民衆、その底辺の怨み辛み、うめき声を歌っているところが唖蝉坊の歌の特徴でしょう。『社会党ラッパ節』は、1904(明治37)年に開戦した日露戦争を痛烈に批判しています。<名誉名誉とおだてあげ 大切な倅をむざむざと 砲(つつ)の餌食に誰がした もとの倅にして返せ トコトットット>」。
「唖蝉坊演歌では、僕はつぶやくような感じの『あゝわからない』が好きですね。これは1906(明治39)年に作られたのですが、節は軍歌『日本海軍』を使っているそうですね。アナーキーな節で、皮肉たっぷりです。<あゝわからないわからない 賢い人がなんぼでも ある世の中に馬鹿者が 議員になるのがわからない>」。
「堺利彦や幸徳秋水、大杉栄はやはり思想的エリートですが、唖蝉坊は庶民の心情を代弁し歌にした真の演歌師でした」。
本書のおかげで、庶民の反権力意識による明治・大正時代の抵抗の歌、演歌の歴史を、唖蝉坊を通して学ぶことができました。