夏目漱石の想い人は誰だったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(936)】
千葉・柏の親水空間・アクアテラスまで足を延ばしました。魚を捕らえたカワセミの雄をカメラに収めることができました。コガモとカルガモが群れています。アオサギもいます。隣接する柏の葉T-SITEは、蔦屋書店が中核となってユニークな空間を作り出しています。書店を巡る散歩道といった雰囲気です。因みに、本日の歩数は10,853でした。
閑話休題、『漱石の愛と文学』(小坂晋著、講談社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)の「夏目漱石の恋人=大塚楠緒子(くすおこ)説」に出会って魅入られた私が、その他の説まで渉猟したのは、32年前のことでした。
今回、『漱石文学のモデルたち』(秦郁彦著、中公文庫)を手にして、当時の自分の熱狂ぶりを懐かしく思い出してしまいました。
本書で展開されている漱石文学のモデルたちを突き止めようという試みは興味深いのですが、私にとって一番引き寄せられたのは、やはり、「マドンナの虚と実」の章でした。
その中の「心の恋人考」では、恋人候補として夏目登世(とせ)、大塚楠緒子、日野根れん、井上眼科の女性患者の4人が俎上に載せられています。
「漱石の好みは、瓜実顔の美女だというのが定説化している。『草枕』の那美、『虞美人草』の井上小夜子、『それから』の三千代は、いずれも『瓜実顔』の女性で、しかも丹念な描写が伴っている。・・・漱石が関わったとされる実在の女性たちをめぐって諸論が乱立するのはむりもない。なかでも『夏目漱石の恋』というコンセプトに絞った論争は、決め手がないせいか一種の泥仕合と化している。相愛、片思いを問わず漱石の心をとらえた女性、いわば生身のマドンナたちは今のところ次の4人で、それぞれ熱烈かつ排他的な主唱者がいる」。
「登世は漱石のすぐ上の兄直矩の後妻だから兄嫁にあたる。明治24年、産褥熱により24歳の若さで死去。江藤(淳)は登世の実家の水田家から一枚残っている彼女の写真を見せてもらい、『背のすらっとした細面の美人』で、大塚楠緒子に似ているが『胸許に豊満なおもむきがあって、むしろ肉感的なものを感じさせる』と記す。漱石が彼女の人柄を賞め、死を悼む感想を友人たちに述べていたことなどを根拠にしているが、証拠らしい証拠はない。・・・登世説には大岡昇平も宮井一郎も似たような視点から反論しており、とくに宮井は江藤説に対し『連想と推論と推断の積み重ね』をレトリックで言いくるめたもの、と手きびしい」。
「最近は小坂晋や飯田敏行の主張するところだが、古くは芥川龍之介、ついで柳田泉も同じ説で、柳田は二人を両天秤にかけた楠緒子が『漱石を裏切って、保治に走った』とさえ主張した。楠緒子は名古屋、宮城、東京控訴院長などを歴任した司法官大塚正男の一人娘。東京高等女学校を首席で卒業、竹柏園で短歌を学び、のち随筆、新体詩、小説も発表。明治28年3月、漱石の学友で東京帝大美学科の初代教授となった小屋保治を婿養子に迎えた。結婚披露宴には漱石も出席している。一男四女を得たが明治43年、36歳の若さで病死、漱石は『有る程の菊抛げ入れよ棺の中』の追悼句を詠んだ。・・・彼女が文句のつけようのない美貌の主だったことは疑いない。『ろうたけた純日本式のきゃしゃな美人』(川田順)、『女ながらも振ひつきたい・・・智的に洗練された麗人』(相馬黒光)といった寸評で十分だろう。漱石自身も鏡子夫人へ『俺の理想の美人だよ』と語ったことはあるが、小坂は漱石が小屋に彼女を譲った気配があるとか、漱石と楠緒子の作品を対照して、その間に『秘めやかな相聞』の情が読みとれると主張する。・・・だが誰もが納得する証拠が見当たらないのは江藤淳と同様で、『楠緒子文学を丹念に読めば、逆に漱石への相聞など浮かんで来はしなくなる』(平岡敏夫)と断言する人さえいる。・・・友人や門人間にその種の噂が出たのは事実で、漱石自身も冗談めかしてではあるが話題にすることもあった。そこで荒正人のように、各説を丹念に分析したあと『現在では小坂晋の大塚楠緒子説が最も説得力に富んでいる』と言い出す人も出てくるわけである。しかし小宮豊隆も佐佐木信綱(楠緒子の和歌の師)も否定論者だし、私としては『親友の細君として終生遇し・・・それ以下でもないがそれ以上でも絶対にない』という宮井一郎の評価に賛成したい」。
「4人の女性はことごとく『幻の恋人』と総括せざるをえないだろう」。
「漱石という作家は川端康成がそうだったように、女性に対し『行動』するよりも『観察』する人だったのではないか、と私は考える。観察する前に行動へ走る男は、事後もすぐに忘れて次の行動を模索しがちだ。いっぽう観察すればするほど、行動への意欲や勇気はなえて行きがちである。・・・妾を持ち遊里に出入りするのは、男として当然という気風の強かったこの時代に、その種の風評は皆無に近かった。かといって漱石が鏡子夫人に心底から満足していたようでもなく、作品のテーマには好んで男女の三角関係をとりあげていたくらいだから、彼がこちこちの道学者だったはずもない」。
主要作品の中で、あれほど執拗に三角関係の男女を描き続けた漱石に、妻想い人がいなかったとは、どうしても思えない、諦めの悪い私です。