無頼派私小説、ここに極まれり・・・【情熱的読書人間のないしょ話(295)】
散策中に、釣り堀に行き当たりました。冬の日差しを浴びながら、多くの人がのんびりと釣りを楽しんでいます。釣りはせっかちな私にはとても無理ですが、ちょっぴり羨ましい気もします。釣り堀の近くで大きなウメが紅梅をたくさん咲かせています。満開の白梅にも出会いました。立ち寄ったパン屋のテラスでは、スズメが地面のパン屑をついばんでいます。因みに、本日の歩数は10,391でした。
閑話休題、私は無頼派私小説が苦手なのですが、ある識者が田中英光は『オリンポスの果実』だけで判断してはいけないと語っているのを知り、短篇『野狐(のこ)』(田中英光著、西村賢太編、角川文庫『田中英光傑作選――オリンポスの果実、さようなら 他』所収)を読んでみました。
「ひとのいう『たいへんな女』と同棲して一年あまり、その間に、何度、逃げようと思ったか知れない。また事実、伊豆のM海岸に疎開のままになっている妻子のもとに、度々戻ったこともある」と始まる「私」と「たいへんな女・桂子」との生活は、最初から最後まで、何ともはちゃめちゃな出来事の連続です。
「一緒にホテルにいった後、彼女は包まず、自分の恥かしい過去を語り、流涕し、而も歓喜して私の身体を抱いた。私は生れて始めて、肉欲の喜びを知ったと思った。彼女が一切、包まず、自分の過去を語ったと思ったのは私の錯覚である」。
「桂子も私に幾つかの嘘を吐いていた。歳も五ツばかり若く云い、学校も女学校を出ているなぞ云ったが、例えば十二の八倍が幾つになるかの暗算さえできなかった。彼女は貧農の娘、しかも不義の子として生れたのである」。
「色の浅黒い、手足の小さい、小柄の女で、顔は平べったく、低い鼻の穴が大きく天井を向いている。化粧すれば、そう見っともない女でもなかったが、素顔の時は呆れるほど平凡な泥臭い百姓の娘さんだった。けれども、その疲労を知らぬ、太股に薄い縞模様のある肉体が、私を圧倒した。私は彼女によって始めて、肉体の恋を知らされたといってよい」。
「私は帰ってきた蕩児として、前以上に桂子が好きだった。彼女の為なら、自分の文学も、自分の一生も、不憫な子供たちも、一切、失ってもよいとまで思いつめていた。而し、前回と違い、桂子の物欲の強くなっているのにはかなり悩まされた」。
「十六、七の頃、近くの老農に犯されようとしたり、医者の息子に追かけ廻されたという彼女。十九の歳、田舎碁打に誘惑されて処女を失い、二十一の時、身内の勧めで、気に入らぬ結婚をし、姑や小姑たちと仲が悪く、カフエの勤めに出たり、夫の出征した後では印刷工場に入って自立し、敗戦後、帰還した夫を嫌って、離籍し、ある異国人と同棲し、その異国人が、ブラック・マアケットで本国に帰された後は、女給勤めのかたわら、夜の天使のようなことをしていた彼女。そんな桂子に、私は敗戦日本の悲しい女性の運命の象徴を感じる。なんとかして、彼女と一緒に自分も助かりたい、浮び上りたいと思っていたのだが」。
「男だけに浮気の権利があって、女にはないというのではない。一度、私が桂子を棄てた以上、その間に、彼女が売春をしたことがあっても仕方がない。ただ、そうしたお互いの恥しい処を全部、見せ合うところに、お互の愛情と信頼が生れると思う。・・・けれども、桂子は、それを私のカマかワナのように思っているらしい」。
「彼女(桂子の先輩の女給)に比べると、私の桂子はひどく泥臭く、もの欲しげな女にみえた」。
「私は醜くい哀れさに堪らなくなり、彼女に肉体の欲望があるかどうかを訊く。『たまらないのよう。』と彼女はなお身をくねらせ、その太股を私の上にのせる。又、病気になる、ペニシリン代一本二千三百円と頭にひらめく。その親切な医者の診察室でみせて貰った、幾つかの猛烈なジフリイズの写真。鼻が落ち、椿の花片のような痕が残る。両唇に無数の吹出物。殊に女の局部の一面にビランした惨状。しかし私はその写真を瞼に描きながら、女に身を任せる。済んだ後の、またかという悔」。
「姉は、私の桂子に対する本当の気持を薄々、知っているのだ。愛と憎しみの間。醜くい哀れなものに対する、どうにもならぬ憐憫。私は桂子と共にズルズル泥沼の底に落ちてゆく光景を知りながら、彼女と共に新宿の家に帰る」。
「私はそれでも黙って、桂子に次の日の朝、『金瓶梅』を書き引替えで稿料を持ってきてくれた雑誌社の金を全部、渡す、私にも数々の桂子のデタラメがはっきり分る。そして呆れたことに、分れば分るほど不憫なのである。私は桂子と共に情死することさえ不自然でない気がする」。
デタラメなのは桂子だけではありません。田中は、酒と薬物に溺れたあげく、妻子を捨て、新宿の街で知り合った半娼婦の、桂子のモデルとなった女性と同棲するのですが、そこに追い討ちをかけるように師と仰ぐ太宰治の自殺が重なり、さらにそのデカダンスは泥濘にはまった状態となります。そして、重度の睡眠薬中毒による乱行、同棲相手に対する刃傷事件、精神病院入院を経た末に、太宰の墓の前で自殺してしまうのです。36年間の生涯でした。
世に無頼派私小説はたくさんありますが、本書の破滅的な内容、ならびに、その破滅的な文章力は、無頼派私小説、ここに極まれりという感を抱かせます。