政治の本質を考えるための書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(676)】
散策中に、気品のある貴婦人のようなツバキの花に出会うとカメラを向けたくなります。閑静な住宅街にある洒落たケーキ屋では、上品な淑女が迎えてくれます。2017年2月17日に最大光度を迎えた金星の写真を、漸く2日後に撮ることができました(今宵は雲に邪魔されず)。因みに、本日の歩数は10,844でした。
閑話休題、年下の友人・國吉真樹が『政治学を問いなおす』(加藤節著、ちくま新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)に寄せているコメントが興味深かったので、本書を手にした次第です。
政治の本質を鋭く衝く文章にぶつかりました。「政治は、ある決定的な点で、人間の存在のあり方や運命を左右する怖さを秘めている。極限的には、政治の延長線上に成り立つ戦争や革命によって人間の人生が否応なくねじ曲げられ、日常的には、税率に手を加える政治的決定によって人間の生活の質が激変せずにはすまない事実は、その見やすい例である」。我々は、今こそ、この言葉を噛み締め、著者が抱いている危機感を共有する必要があります。
著者の「死」の捉え方には、深く考えさせられました。「死が死に行く者にとって恐怖なのは、それが将来に向かって開かれた自己の生の全き断絶を予感させ意識させる深い孤独感のゆえであり、死が残された者に悲しみを与えるのは、それが、死者によってもたらされたであろう未来の可能性を死者とともに共有する希望を絶ち切られた強い寂寥感のためであると考えられるからである。もとより、死者と生者とのこうした分岐にもかかわらず、生理的死を死ぬ者になお生き続ける途がないわけではない。生者の記憶の中に生きることがそれである」。
さらに、考察が深められていきます。「けれども、死者に残されたこうした生の形式は、死者に二度目の死をもたらす残酷さをも秘めていると言わなければならない。時間の経過は、否応なく死者に関する生者の生き生きとした記憶を失わせ、死者が為したであろう可能性への想像力を仮借なく風化させていくからであって、それによって、死者は、最終的な可能性の終焉を迎えざるをえない。人間の死は、そのようにして生じる二度目の完全な死によってそのサイクルを閉じるのである。このように、死は、人間の存在と可能性との終焉をその主旋律とし、『死者と生者との共存』を絶ち切る酷薄さをそのコロラリー(帰結)として成り立つ」。
著者は、この「死=存在と可能性の終焉」を糸口として、政治的死の悲劇についての論考を進めていきます。
現代世界における政治と暴力を考える上で、欠かすことのできない一冊です。