偉大な画家、彫刻家たちの最期の日々・・・【情熱的読書人間のないしょ話(965)】
太陽が照っていても、寒さが身に沁みます。因みに、本日の歩数は10,108でした。
閑話休題、偉大な画家、彫刻家たちの晩年に焦点を当てた『芸術家たちの臨終図鑑』(平松洋著、新人物往来社)のおかげで、いろいろな事実を知ることができました。
「サンドロ・ボッティチェッリ――かつての名声はなく貧困のうちに死す」には、こう記されています。「その晩年は悲惨で、ヴァザーリによると『仕事もなくなり、まっすぐに立つこともできず、二本の松葉杖にすがって歩き』おいぼれて亡くなったという。1510年5月17日、享年65」。
「レオナルド・ダ・ヴインチ――伝説では、フランス王の腕に抱かれて死す」では、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチの様子を伝える記録が紹介されています。「枢機卿ルイージ・ダラゴーナが1517年10月10日、クルーの館を訪ねた時の記録で、レオナルドは、白いあご髭を蓄え70歳以上に見えるといい、『洗礼者ヨハネ』『聖アンナと聖母子』そして、多分『モナ・リザ』と思われる3枚の絵を枢機卿に見せたが、右手が痙攣していたので、これ以上の傑作は描けないだろうと記している」。この1年7カ月後、67歳で永眠しました。
「ミケランジェロ・ブオナローティ――死の6日前まで制作に取り組む」では、ミケランジェロの死の直前の様子が語られています。「システィーナの壁画制作においても『彫刻家ミケランジェロ』とサインしたように、自ら彫刻家であることを主張し続けてきた彼は、死の6日前までノミを手放すことはなかった。それが、現在ミラノのスフォルツァ城にある未完の『ロンダニーニのピエタ』である。1564年2月18日、ミケランジェロは88歳と11カ月の人生を閉じる」。
「ヨハネス・フェルメール――残された画家の妻は自己破産を申請」には、意外なことが書かれています。「(1675年)12月15日、43歳で妻カタリーナと11人の子どもを残して永眠。死後、カタリーナは残された絵を売って、債務処理に奔走するが自己破産を申請。死後手元に残された作品でこの時、何とか競売で手放すのを避けようとした作品が『絵画芸術』であった」。
「ドミニク・アングル――ライバルの存在が地位と活力を与えた後半生」には、こうあります。「1862年に完成させた『トルコ風呂』は、匂い立つような官能的な作品だが、なんと82歳の時の作品なのである。1867年1月14日、パリで永眠。なくなる1週間前まで制作していたという」。
「トゥールーズ・ロートレック――アルコール中毒者の悲惨な死」では、若過ぎるロートレックの死が描かれています。「(精神病院)退院後、母親は監視役をつけて転地療法などをさせるが、(1899)年末にパリに戻った頃にはまた酒量が増え、手に痙攣までおこすようになる。一旦、ボルドーで静養するが、すでに死期を感じ取ったのか、翌年になるとパリに出てアトリエを整理、南仏のリゾート地で過ごした後、母がいるマルロメに向かい、その地で脳出血に倒れ華族に看取られてなくなったという。まだ36歳だった」。
私は芸術家ではありませんので、死の直前まで、好きな読書ができたらいいな、と考えています。