榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

幕末日本に開国を迫ったペリー提督の首席通訳官の日録は興味深いぞ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2700)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年9月7日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2700)

センニンソウ(写真1~3)、ハナトラノオ(カクトラノオ。写真4)、ヘメロカリス(写真5、6)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,368でした。

閑話休題、『ペリー日本遠征随行記』(サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ著、洞富雄訳、講談社学術文庫)で、とりわけ興味深いのは、幕末日本に開国を迫ったマシュー・ペリーが沖縄占領を企図していたこと、首席通訳官のサミュエル・ウェルズ・ウィリアムズがペリーの恫喝的態度に批判的であったこと、米国への密航を企てた吉田松陰と筆談したのがウィリアムズだったこと――の3点です。

訳者の洞富雄は、ウィリアムズを高く評価しています。「ウィリアムズは優れたジャーナリスト的才能の持主ではなかったかと思われる。彼はこの日録を書きとどめる際に、日本の開国という新しい時代を切り拓いた歴史的事件の目撃者として、いっさいの虚飾をしりぞけ、また独断を避けながら、ひたすらありのままの事実を後世に語り継ごうとした。そうしたウィリアムズの姿勢からも、信頼できる真摯なジャーナリスト像を思いうかべることができる」。

●ペリーの沖縄占領計画
巻末の訳者解説に、こうあります。「おそらくペリー提督は、日本の開国拒否と、それに対応して処置すべき沖縄の占領は必須と見ていたのであろう。そのために、日本と条約交渉を行なっている間でも、占領の予備的処置として、また英仏露3国の野心に対する政治的予防手段として、実質的占領措置を強化しようとしたわけであろう。なお、沖縄を占領したうえで、武力行使によってでも日本に開国を迫ろうというのが、ペリー提督の長期的展望であったのかもしれない」。ペリーが沖縄占領を目論んでいたとは! しかし、ペリーは3月31日(嘉永7年3月3日)に日米和親条約(神奈川条約)の締結に成功したため、沖縄占領は必要なくなったのです。

●ペリー批判(1854年3月10日<嘉永7年2月12日>)
「昨年の書翰(大統領の書翰)では1港の要求であったのが、ペリーは今や5港を要求している。また、よい待遇の保証を要望したことが、今や条約締結の要求に改まっている。しかも、もし要求に応じなければと開き直って、『より強大な軍勢と、もっときびしい条件及び訓令』といった、歯に衣を着せぬ言葉遣いで恫喝した。日本人は要求に応じたいかもしれないが、おそらく従わないであろう。しかし、なんという矛盾をここでさらけだしたものであろうか。われわれが略奪の旅にやって来たのだという以外に、彼らはペリーの言い分からどんな結論を引き出すことができるだろうか。私にはこのような文書を手渡す情況など、ほとんど見当もつかないが、起草者の考えは疑う余地がない。ペリーは自分自身の地位や名声を高めようとしないのと同様に、正義や、節操や、故国も念頭におこうとせず、自分の活動欲を日本に対する彼のあらゆる行為によって試そうとしているのだ。・・・私は、今日作成したこんな文書は軽蔑する。これではみずからその目的を覆す結果を招くことにもなりかねない。たしかにこれは起草者に対する評価を低下させるものだ」。ウィリアムズの言うとおりだ!

●吉田松陰との筆談(1854年4月25日<嘉永7年3月28日>)
「昨夜(当日午前2時)、2人の日本人(吉田松陰、金子重之輔)がわが艦船で合衆国に渡ろうとして艦上(パウアタン号)にやって来たが、提督は幕府から許可を得たものでなければ応じられぬとして、彼らの乗艦を断わった。彼らからは、前もって(前日)渡航したいと希望し、また艦内ではどんな仕事にも喜んで従事する、としたためた達筆の手紙を受け取っていた。・・・操舵下士官の助けを借りて彼らはタラップを登ったが、彼らが乗って来た小船は運悪く彼らが本船に移るときに離れて漂い去ってしまった。提督は彼らの用向きと上記の書翰についての報告を受けたが、条約の精神に違反して連れて行くことはできぬと断わった。これは彼らをひどく失望させた。だが、私は、便乗する機会もあるだろう他の船舶が追々ここへやって来るに違いないから、今回拒絶されたからといって、そう残念がることもない、といって聞かせた。・・・彼らは予期していたよりはずっと平凡な顔つきであったが、明らかに教養のある人物で、23歳と25歳の青年――日本には扶養すべき両親も子供もない――であった。おそらく、みずから語った通りに、彼らは渡米を熱望している青年であったろう。・・・私には、流失した小船に残した刀やその他の持物が彼らを面倒な事件に巻き込むのではなかろうかと気がかりであった。果して、それが港の巡邏船の一隻に発見されたのだ。役人が問い質しに来艦したが、もちろんわれわれは何も語らなかった」。ウィリアムズが松陰に好意を抱いたことが伝わってきます。