榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

殷王朝の全体像を俯瞰できる、甲骨文字に基づく実証的な著作・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1024)】

【amazon 『殷――中国史最古の王朝』 カスタマーレビュー 2018年2月11日】 情熱的読書人間のないしょ話(1024)

東京・千代田の皇居の堀では、セグロカモメたちが飛んだり、泳いだり、水に潜ったりと賑やかです。全身が淡い褐色で、嘴が黒い若鳥もいます。隣の日比谷公園では、アオサギを見かけました。冠羽が見えます。制服で話題になっている泰明小学校の前を通りました。因みに、本日の歩数は10,428でした。

閑話休題、『殷――中国史最古の王朝』(落合淳思著、中公新書)のおかげで、中国の夏に続く王朝・殷の全体像を俯瞰することができました。本書では、甲骨文字研究の最新の成果を踏まえ、殷王朝の歴史と社会が再現されています。

「殷王朝は、紀元前16世紀に成立して紀元前11世紀に滅亡するまで、500年以上も存続した。・・・殷代の支配体制は分権的であり、遠方の地方領主は、本拠のほかその周辺にあった多数の鄙(小都市や集落)も領有していた。当時の地方支配は間接統治の形態だったのである。・・・軍事力による物理的な支配のほか、殷王は盛んに神々を祀っており、精神的な面からも人々を支配していた。王による祭祀は、必ずしも純粋な信仰心からおこなわれたのではなく、王の宗教的権威を確立するという意図を持って実施されていたのである。さらに、殷代の祭祀では、家畜や人間が犠牲(生けにえ)にされていたが、これも王朝の支配と関係していた。・・・殷王朝では戦争捕虜を家内奴隷にしていたが、奴隷に余剰があった場合、殷王はそれを祭祀の犠牲として使用することで、自身の軍事力を誇示していた。殷代において最も重要な宗教儀礼は、家畜の肩甲骨や亀の甲羅を使った占いである甲骨占卜であり、殷王はそれによって王朝の政策を決定していた。殷代の同時代資料である甲骨文字も、甲骨占卜の内容を記録したものである」。

「ただし甲骨占卜は、名目上は神意を知るための手段であるが、実際には政治的に利用されたものであり、事前に甲骨に加工が施され、王が望んだ結果を出せるようになっていた。殷王朝の政治は、神への祭祀や甲骨占卜を重視したため『神権政治』と称されるが、その実態は『神に頼った政治』ではなく、『神の名を利用した政治』だったのである」。

文明・文化面では、文字の発明、暦の作成、青銅器の製作、都城の建設などが注目されます。

「殷王朝は紀元前11世紀の後半に滅亡し、黄河流域の支配権は周王朝に移ることになる。殷王朝が滅亡したのは帝辛の時代であるが、その理由として、『史記』殷本紀に記載された『酒池肉林』などの物語がよく知られている。これらはすべて後代の創作である。・・・実際には、帝辛は頻繁に狩猟や祭祀を実行しており、『酒池肉林』などをする暇はなかったのである。・・・『史記』の成書は紀元前90年とされており、殷が滅びてから約1000年も経過した時代のことである」。

「それでは、『酒池肉林』が事実ではないとしたら、殷王朝はどのような理由で滅びたのだろうか。・・・殷代後期には、周は殷王朝の支配下にあったので、客観的に見れば、周が殷を滅ぼしたことは一種のクーデターにすぎない。現実としては、殷から離反した勢力を周が吸収し、最終的に武力で討伐したことが勝因なのである」。

甲骨占卜の実態、殷王朝滅亡の理由など、さまざまな事項で目から鱗が落ちる、甲骨文字に基づく実証的な著作です。