榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

歴史学者・磯田道史の独特な史観の礎には、自ら見つけた古文書があった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1040)】

【amazon 『歴史の愉しみ方』 カスタマーレビュー 2018年2月27日】 情熱的読書人間のないしょ話(1040)

あちこちで、ウメが咲き誇っています。因みに、本日の歩数は10,849でした。

閑話休題、NHK・BSテレビの『英雄たちの選択』は私の好きな番組ですが、その司会を務めている磯田道史の歴史に対する深い見識と独特な史観からの核心を衝いた指摘には、いつも驚かされます。毎回、目から鱗が落ちっ放しです。その磯田の最大の武器は、古文書です。「誰も読んでいない古文書をみつけ、それを解読して、事の真実に迫る」。この意味で、その得意技が最も効果を発揮しているのが、『歴史の愉しみ方――忍者・合戦・幕末史に学ぶ』(磯田道史著、中公新書)です。「わたしは、そういうもの(=古文書)を簡潔平明な文章で書きたいと思って、本書をまとめた」。

「斎藤隆夫の命がけの色紙」には、大学院生時代のエピソードが記されています。「15年以上前、露天の古道具市によく行った。古道具のなかから、史料をあさる。無職の大学院生だから当然金はない。ポケットには1000円。こちらは身なりからして貧乏な学生であった。・・・(見知らぬ露天商から買った)一枚は達筆すぎてすぐに判読できなかった。数日後『第七十五帝国議会去感斎藤隆夫』と読めた。だが当時の私は江戸時代を研究する大学院生で斎藤隆夫が何者か恥ずかしながらよく知らなかった。・・・昭和15(1940)年2月2日、兵庫県出石出身の衆議院議員斎藤隆夫は歴史に残る国会演説をした。政府軍隊のすすめる大陸政策はおかしい。そもそも中国全土を日本は占領できない。泥沼化した日中戦争の目的もはっきりしない。聖戦の美名に隠れて『国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない』。そう斎藤は叫んだ。・・・しかし時の国会は誤った。斎藤を国会から除名。・・・斎藤は暗殺を覚悟した。せめて殺される前に自分の思いを記そうと思ったらしい。色紙に漢詩をしたためた。私がみつけたのはそのなかの一枚であった。・・・読んで涙が出てきた」。

数カ月後、やっと探し当てた露天商にあれは高価な斎藤の色紙だったと告げると、「件(くだん)の露天商はいった。『この商売、店が客に一本とられることもあれば逆もある。気にせんでいい』。偉い男だと思った」。この露天商も恰好いいが、磯田をますます好きになってしまいました。

「司馬さんに会えたらという反実仮想」には、またまた目から鱗が落ちました。「司馬さんは、明治人のリアリズム、とりわけ、薩人(幕末の薩摩人)の的確な判断力について書いている。薩人が、幕末政局のなかで、政局判断をあやまたず、新政府を樹立するまでの道のりを鮮やかに描いた。討幕な薩長土肥の共同作業のように語られるが、その実は違う。薩摩の、それも西郷や大久保などごく一部の薩摩人が、恐るべき才覚でもって、まわりを巻きこみ、彼らが絵を描いて、革命にもっていったものである。近年の幕末政治史の研究が、次第に、その実状を明らかにしつつある。薩摩は、あるいは、日本のなかの例外かもしれない。薩人には、『もし、こうなったら』とあらかじめ考えておく『反実仮想』の習慣があった。司馬さんが存命であれば、このことについて、ぜひとも語ってみたかったと、心底、残念に思う」。

「これを鍛えたのは、薩摩の郷中教育の『詮議』であった。・・・江戸時代になると、武士の教育は四書五経の暗記のような形式主義に陥った。あらかじめ解答のきまったものに答える予定調和な教育が日本中に蔓延した。ところが、薩摩という最果ての地に、知識よりも知恵を重視した実践的な教育が残っていた。結局、日本は、この僻遠の地で育まれていた政治的判断力でもって、新政府をつくり、迫りくる西洋列強に対処していったのである」。これは卓見です。ついでながら、私は、一流大学の合格者は、18歳の時に暗記力と受験技術に長けていた人間に過ぎないと考えています。

「石川五右衛門の禁書を読む」では、石川五右衛門の意外な面が覗けます。「日本に滞在したイエズス会宣教師の記録にさえ出てくる。実在は間違いない。『1594年夏、Ixicava goyemonが生きたまま家族9~10人と油で煮られた。彼らは兵装。10人か20人が磔にされた』と記されている」。

「ずっと気にかけている史料がある。『賊禁秘誠談』という写本。もっとも古い五右衛門の実録である。・・・(この写本を各所で探していたが、漸く)先日、神田神保町でみつけた。・・・その内容に驚愕した。作中で、五右衛門は『官位とは衣服と冠。それを着けていれば誰でも貴族扱いされる』とうそぶいていた。天皇や官位制度など、この国の道徳を徹底して否定している。戦後になるまで出版されなかったはずである」。