榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

又吉直樹の小説『火花』は、何と無印良品だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1057)】

【amazon 『火花』 カスタマーレビュー 2018年3月15日】 情熱的読書人間のないしょ話(1057)

ミツマタの黄色い花が芳香を放っています。ニオイツバキが香りを漂わせています。サクラソウがさまざまな色合いの花を咲かせています。クリスマスローズが俯き加減に咲いていますが、薄黄色や赤紫色の花弁に見える部分は萼です。チューリップが咲き出しました。因みに、本日の歩数は10,657でした。

閑話休題、『火花』(又吉直樹著、文藝文庫)を読み終わって、これは無印良品だということに気づきました。

私にとっての無印良品とは、●ごてごてした余計な装飾などの無駄を省いて、すっきりしている、●コンセプトやデザインがシンプルなので、私たちが使い方を工夫できる、●飽きがこないので、長く使える、●品質に信頼感があり、それでいて価格はリーズナブル、●単純な製品に見えるが、意外に奥が深い――といったものですが、これらが、そっくり、『火花』に当てはまるのです。

お笑い芸人の「僕」が、10年前に出会った心酔する先輩芸人とのやり取りを思い出して綴ったという形が取られています。

「これが僕と神谷さんとの出会いだった。僕は二十歳だったから、この時、神谷さんは二十四歳のはずだった。僕は先輩と一緒にお酒を呑んだことがなく、どうすればいいのか全然わからなかったのだが、神谷さんも先輩や後輩と呑んだことが今までにないようだった」。

「神谷さんは『人と違うことをせなあかん』ということを繰り返し言い、焼酎を五杯程呑み赤らんだ顔の中で両目が垂れだした頃には、どのような話の流れでそうなったのか、僕は神谷さんに『弟子にして下さい』と頭を下げていた。それは決してふざけて言ったのではなく、心の底から溢れ出た言葉だった」。

「『俺の伝記を書くには、文章を書けんとあかんから本は読んだ方がいいな』。神谷さんは本気で僕に伝記を書かせようと思っているのかもしれない。僕は本を積極的に読む習慣がなかったが、無性に読みたくなった。神谷さんは早くも僕に対して強い影響力を持っていた。この人に褒められたい、この人には嫌われたくない、そう思わせる何かがあった」。

「僕は神谷さんを、どこかで人におもねることの出来ない、自分と同種の人間だと思っていたが、そうではなかった。僕は永遠に誰にもおもねることの出来ない人間で、神谷さんは、おもねる器量はあるが、それを選択しない人だったのだ。両者には絶対的な差があった。神谷さんは他の人のように僕に対して見構えたりせず、徹底的に馬鹿にすることもあれば、率直に褒めてくれることもあった。他の尺度に左右されずに僕と向き合ってくれた」。

「僕と神谷さんでは表現の幅に大きな差があった。神谷さんは面白いことのためなら暴力的な発言も性的な発言も辞さない覚悟を持っていた。一方、僕は自分の発言が誤解を招き誰かを傷つけてしまうことを恐れていた」。

「こんな時、神谷さんの唱える、『気づいているか、いないかだけで、人間はみんな漫才師である』という理論は狂っていると理解しながらも妙に僕を落ち着かせてくれるのだった。今、明確に打ちのめされながら神谷さんとの日々が頭を過(よ)ぎる。僕は神谷さんの下で成長している実感が確かにあった。だが、世間に触れてみると、それはこんなにも脆弱なものなのだろうか。言葉が出てこない。表情が変えられない。神谷さんに会いたくなるのは、概ね自分を見失いかけた夜だった」。

「神谷さんは、信念を持っていた。周囲に媚びることが出来ない性質は敵も作りやすい。それでも神谷さんは戦う姿勢を崩さなかった。舞台に誰がいても、観客が一人も求めていない状況でも神谷さんは構わずに、自分の話をした。一部の芸人には賞賛されたし、一部の芸人からは煙たがられた。僕は神谷さんになりたかったのかもしれない。だが、僕の資質では到底神谷さんにはなれなかった」。

「(神谷さんは)無駄なものを背負わない、そんな生き様に心底憧れて、憧れて、憧れ倒して生きてきた。僕は面白い芸人になりたかった。僕が思う面白い芸人とは、どんな状況でも、どんな瞬間でも面白い芸人のことだ。神谷さんは僕と一緒にいる時はいつも面白かったし、一緒に舞台に立った時は、少なくとも、常に面白くあろうとした。神谷さんは、僕の面白いを体現してくれる人だった。神谷さんに憧れ、神谷さんの教えを守り、僕は神谷さんのように若い女性から支持されずとも、男が見て面白いと熱狂するような、そんな芸人になりたかった。言い訳をせず真正面から面白いことを追求する芸人になりたかった。不純物の混ざっていない、純正の面白いでありたかった」。

「必要がないことを長く時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で眺める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う」。

僕と神谷さんは、よくメールでやり取りをしますが、二人は伝文の最後に、「カノン進行のお経」、「三畳一間に詰め込まれた救世主」、「バックドロップbyマザーテレサ」、「彼女と瓜二つの排水溝」、「エジソンが発明したのは闇」、「エジソンを発明したのは暗い地下室」、「聖なる万引き」といった発信人の気分を表す言葉を添えています。これは面白いので、私も真似してみました。

『火花』は、やっぱり、無印良品だったのです。芸人の小説にノック・アウトされ片足が棺桶の中。